梅下のとはずがたり

思いつきを長々と語るブログ

【ネタバレ含む】冨岡義勇の考察

 

今回は義勇さん、冨岡 義勇の名前の由来などを主に考察してみたいと思います。

思いの丈があり余り過ぎて(いつものことですが)そこそこの長文です。

最低限にとどめる努力はしますが、コミックス最終巻までのネタバレを含みますので、一滴も知りたくない方はご注意ください。

(2020.1.18.誕生日の項、少し追記しました。)

 

鬼滅の刃 5 (ジャンプコミックスDIGITAL)

◆まずプロフィールから

冨岡 義勇(とみおか ぎゆう)
2月8日生まれ。
年齢21歳。
東京府豊多摩郡野方村(現:中野区 野方) 出身。
水の呼吸の使い手で最高位の水柱。
強さは申し分ないが、寡黙で口を開いても言葉足らずな場面が多々あり、周囲の誤解を招きやすい性格。
そのため周囲から浮いていたり一部には本気で嫌われているが、本人はなじめていないだけで嫌われているとは思っていない。
鬼の襲撃からかばってくれた家族や親友が死に、自分だけが生き残ってきたことに対して自責の念が強く、自身の存在価値について否定的。
鮭大根が好物。
動物が嫌い。(昔、犬に噛まれたことがあるため。)


◆名前の由来

名字の冨岡は鎌倉幕府の鬼門除けとして創設された富岡八幡宮から取られていると考えています。
東京にも分霊された富岡八幡宮がありますが富岡八幡宮の名前よりは深川八幡宮の通称で親しまれています。
江戸三大祭りの一つ深川八幡祭り、別名 水掛け祭りが有名です。
冨と富の字が違いますが、この二つの字は意味としてはあまり明確に区分されていないようですので、個性を出すためにも変えてあるのだと思われます。
あるいは今の漢字で富士山に使われている富の字を避けたのかもしれません。
(富士山は火山なので火のイメージが含まれてしまいます。)


下の名前 義勇は幕末から明治にかけて活躍した佐賀藩出身の島 義勇(しま よしたけ)に由来していると考えられます。
佐賀七賢人の一人ですが、その功績は佐賀県より北海道、特に札幌において有名です。


島義勇の主な功績は北海道の開拓で、札幌の都市設計から建設まで携わり、「北海道開拓の父」とも呼ばれています。

興味深いのは開拓者でありながら、風水師の一面を持ち合わせている点です。


島 義勇は札幌の街を設計するにあたり出身の佐賀藩や京都の街を参考にしており、札幌市は三山に囲まれ一方が開けた地形を選んで造られ、碁盤の目のように整備されています。
羊蹄山から発したエネルギーが豊平川と琴似発寒川(ことにはっさむがわ)に運ばれて水龍の気となり、北海道神宮開拓神社境内で合流、一体の大きな龍となって大通公園、ひいては街へと流れ込みます。
札幌の街は風水にのっとって創られた水龍の街という言い方もできるでしょう。


風水で言えば水の属する方位は北です。
日本の北、水龍の気が流れ込む街や神社を創設した人の名前は、いかにも水の呼吸を極めた水柱にぴったりの名前だと思います。


◆片身変わりの羽織が表すもの

義勇さんに北のイメージが込められていることは羽織からも読み取れます。義勇さんの羽織りは半々で柄の違う片身変わりであり、姉・蔦子と友人・錆兎の形見代わりであることはよく知られていることだと思いますが、柄を詳しくみてみたいと思います。
錆兎の形見の変わり毘沙門亀甲という柄、お姉さんの形見は無地で暗めの赤です。


変わり毘沙門亀甲とはその名の通り、毘沙門天からモチーフをとった柄です。
毘沙門天は仏教の武神です。単独で祀る時は毘沙門天と呼ばれますが、四天王として祀られる時は多聞天とも呼ばれ、国土、北を守護する神だと言われます。
黄色のY字の柄は鎧の金鎖を表しています。
亀甲は四神の北を守護する玄武を連想させると同時に、出雲系の神社の紋に使われている柄です。
出雲系の神社といえば水神スサノオを祀っている神社が多く、また錆兎は因幡の素兎をモチーフにしていると考えられますので、錆兎にも関連のある柄だと言えます。


その姿は唐時代の武将の姿で表現されるのが一般的で、邪鬼の上に乗っている(踏んでいる?)ことも多いです。
さらに派生的な姿として、兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)があります。
西域兜跋国(今のチベット  トルファンのあたり)に現れたという毘沙門天で、一般的な姿と違い、金鎖甲(きんさこう)という鎖を編んで作った鎧に、海老籠手(えびごて)と呼ぶ防具を腕に着け、足元には地天女と二鬼、頭に筒状の宝冠を被った異国風の姿をしています。


毘沙門天像は全国各地にありますが、福岡県 太宰府市観世音寺には9世紀頃に作られた兜跋毘沙門天像があります。
国土を守護する神様として、古代都市・大宰府の羅城門に置かれていたのではないかという見方が有力視されています。


つまり羽織の変わり毘沙門亀甲柄は毘沙門天の中でも派生した毘沙門天→兜跋毘沙門天を意味しているのではないでしょうか。


もう一方の無地の羽織を見てみます。
柄がありませんし色も印刷や明るさの違いで微妙に変わってしまうので難しいところですが、前述の兜跋毘沙門天の特徴の一つ、海老籠手がこちらに表現されているのではないかと考えました。
無地ですので色、つまり海老色です。


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カラーサイト.comより
作品内では別々の人から受け継いだ着物とされていますが、実は二つの柄で一つのものを表していると思われます。


◆もう一人の主人公

義勇さんのキャラクターには北と水がモチーフとして含まれていることを説明してきましたが、この二つと関連があるもう一つ大事なモチーフが隠されていると私は考えています。
そのモチーフとは星です。
もっと言えばその星は北極星です。
なぜ北極星が関係し、そして隠されているのか、その意味を考えていきたいと思います。


鬼滅の刃」の前の作品に、デビュー作「過狩り狩り」、「鬼滅の刃」前身の作品で「鬼殺の流」(ネームの形で三話まで公開)という作品があることをご存知の方は多いと思います。


両作の主人公は特徴がよく似ており、寡黙で孤高、鬼に手足を奪われながらもハンデをもろともしない凄腕の剣士です。
(「過狩り狩り」の主人公は腕、「鬼殺の流」の流は両足と片腕を失っています。両作とも目に怪我をします。何かの伏線かも?)


吾峠先生もかなり思い入れを以て創られたキャラクターだと思いますが、「鬼滅の刃」の連載では読者の共感を得やすい主人公を、ということで炭治郎が主人公になりました。


しかし「過狩り狩り」・「鬼殺の流」を読んだ方の多くは外見に加え、寡黙で孤独な空気を漂わせる凄腕の剣士が冨岡 義勇の特徴と似ているという印象を受けたのではないでしょうか。
主人公を変更したとしても、思い入れの深いキャラクターを「鬼滅の刃」でもメインキャラクターの一人として活躍させたいと考えることは何ら不思議ではありません。


ですが、このキャラクターたちが似ているからといって、前身作品の主人公→冨岡義勇を確定させる根拠はこれといってなく、現時点では明確に言及されてはいないと思います。
あくまで似ているだけに過ぎません。


私は「鬼滅の刃」の前身となった二作品の主人公たちは義勇さんに受け継がれている、それが北極星をキーワードを根拠に読み解けると考えました。


「過狩り狩り」・「鬼殺の流」の主人公たちは手足を失っていますが、「古事記」や「日本書紀」にその姿が似た神様が登場します。
その神様とは、ヒルです。
古事記ではイザナギイザナミの最初の子として生まれますが、日本書紀ではアマテラス、ツクヨミヒルコ、スサノオの順で生まれたとされます。
炭治郎のモデルになっているスサノオの兄にあたり、鱗滝一門の兄弟弟子の関係とも重なります。
また、義勇さんの名字の由来になったと思われる冨岡八幡宮の祭神には、蛭子神様がいます。


太陽と月、海の神のきょうだいの一柱として生まれたヒルコ神ですが、三年経っても足が経たなかったことからアメノイワクスフネに乗せられ海に流されてしまいます。


現代の私たちがこの話を普通に解釈するなら、ヒルコ神とは障害を持って生まれ、親に捨てられたというネガティブな印象の神様だと思います。
それがなぜ記紀神話に描かれているのでしょうか?
これは昔から不思議に思われてきたことでしょうし、専門家によっても見解が分かれるところだと思います。


その中で、江戸時代の曲亭馬琴が「玄同放言」という書物において興味深い説を述べています。


昔は蛭子(ヒルコ)を日子(ヒルコ)と書き、昔は星をヒルコ、縮めてヒコともいっていたそうだ。つまりヒルコは星の神である。どの星かというと北極星で、北極星は(動かないので)足が立たないもののようであり、海に流されたのは、易での坎(かん)が水を表し、北をさすからで事文類聚に載っている星は水の精であるということが根拠である。
(※「黄華堂」様(http://www.oukado.org/index.html)のサイトを元に簡単にまとめています。)


ヒルコ神が流された後にどうなったか、神話では書かれていませんが、後世の人々にどこかに漂着したと考えられたことで、現在はえびす神と同一視されることもあります。
しかし、「玄同放言」によればヒルコ神は岸には着かず海の彼方で星の神になったという説を唱えているのです。


海の彼方、どこにたどり着くこともなく、鏡面のように静かな水面に留まり続けているヒルコの舟。
冨岡 義勇だけが使える水の呼吸・十一の型「凪」のイメージはこの風景そのものです。


この説によれば、北・水・星ヒルコ神を象徴していることになります。
義勇さんのモチーフに北と水が含まれていることは前述の通りで、さらに星が含まれていればそれはヒルコ神を意味していると考えられます。


そしてヒルコが「過狩り狩り」・「鬼殺の流」の主人公たちに見立てられているなら、モチーフを通して「鬼滅の刃」の冨岡義勇に関連づけられていると言えます。


それでは義勇さんの名前の由来になっている島 義勇が星と関係あるのかというと、関係あります。
島 義勇たち北海道開拓使の記章は「五稜星」。
北辰旗と呼ばれ、北極星をシンボルにしているのです。


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五稜旗(北辰旗)
フリー百科事典 Wikipediaより

 

発案は蛭子末次郎。名前が奇しくも蛭子ですが、彼が北極星の図案を提出したのが偶然なのか意図してのことなのかはわかりません。
北海道、特に札幌ではこの五稜星をルーツにしたマークがいろんな場所で見られます。
特に有名なのは札幌の名前を冠するビールでしょうか。全国で見られますね。


冨岡 義勇の名前には北、水、星のモチーフが織り込まれ、水の呼吸の使い手としてのイメージにぴったり合うものでありながら、前身となった二作品の主人公たちとのつながりがあり、鬼滅の刃へとしっかり受け継がれているのです。


そして北極星のモチーフは前作とのつながりだけでなく、「鬼滅の刃」での冨岡義勇のキャラクターにおいても活かされています。


古来より北極星は信仰の対象となってきました。
軍神、水神、鉱物神、時には隠れキリシタンの神としても信仰を集め、妙見菩薩として崇められる際は、真理を見抜く目を持っているといわれています。


義勇さんはカナヲのように視力がずば抜けているわけではありませんが、鬼と見れば問答無用に斬り捨てるのではなく、倒すべきかそうでないかの真理を見極める目を持っているのでしょう。


◆誕生日はなぜ2月?

誕生日について調べてみました。
2月8日は三重県名張市蛭子神社八日戎(ようかえびす)本祭の日です。
島根県コトシロヌシ系えびす神の総本宮美保神社からの分家だそうで、島根県とも縁がある神社です。
ヒルコ系えびす神の総本社は西宮神社ですし、えびす祭の多くは1月に行われています。

どうしてコトシロヌシ系の蛭子神社を選び、誕生日も1月8日や10日ではなく2月なのでしょうか?
コトシロヌシ系の蛭子神社が選ばれたのは、西宮神社では蛭児大神は還ってきたという説を支持されているため星の神様のイメージに合わなかったのかもしれません。

 

名張市蛭子神社が2月に八日戎を行うのは新暦に合わせてとのことなので、同じように義勇さんの誕生日も新暦に合わせて2月としていることも考えられます。

だとすれば、旧暦では1月8日頃となりえびす祭の時季を意味していることになります。

 

もう一つ、誕生日が2月8日であれば星座が水瓶座になります。
ここまで星にこだわってきたのですから、義勇さんに関しては星座もきっと特別こだわったと思うのです。

水柱は山羊座ではなく(たとえ下半身が魚だとしても)、水瓶座であってほしいところです。

 

また、旧暦2月8日は歌舞伎役者 三代目 澤村田之助の誕生日でもあります。

舞台での事故が元で壊死した四肢を切断しながら舞台に立ち続けた悲劇の名優と言われています。

鬼滅の刃」は歌舞伎をモチーフとしているものが随所に見られますので、吾峠先生はきっと三代目 澤村田之助のこともご存知でしょう。

2月8日の誕生日ひとつにも、いくつものこだわりがあると思います。


◆動物が嫌い

嫌いなものについて見てみます。
犬に噛まれて以来、動物全般が嫌いな義勇さんですが、無限城で炭治郎と共に最初に対峙したのは犬の名前を持つ猗窩座でした。
煉獄さんも初対面から猗窩座を嫌っていましたが、義勇さんは価値基準や鬼かどうか以前に名前から嫌いになりそうです。
義勇さん、煉獄さん、猗窩座は根本的なところが対立するように創られていると思います。


名前はさておき、義勇さんと猗窩座は似通った点が多いと思います。
元ネタの視点から見ると、2人とも佐賀県から題材が採られていますし、龍神のイメージが組み込まれています。
義勇さんの出身地 野方(現在の東京都 中野区 野方)にある沼袋氷川神社、猗窩座のモデルになったと思われる江ノ島の岩屋、どちらにも仔を抱えた珍しいデザインの狛犬がいることも共通しています。


キャラクターとして見ても、家族やそれに近い大事な人たちに少なくとも2回以上死なれている境遇も似ていますし、またその人たちの形見や思い出にまつわるものを身につけている外見的な特徴も共通しています。
大きな違いは結果的に一方は鬼狩りに、もう一方は鬼になってしまったことです。

 

無限城での猗窩座戦は、鱗滝一門の兄弟弟子の共闘、炭治郎の猗窩座との再会だけでなく龍神同士の闘い、あるいは犬嫌いと犬との闘い?までいろんな切り口で見ることができる一戦です。

物理的な戦闘と同時にそれぞれの過去の記憶や想いも入り交じりますが、それだけではなく精神、心理、性格といったような見えない内面のぶつかり合いも根底にあって、奥行きと見ごたえのある場面になっているのだと思います。

そしてそのすべての積み重ねが戦果につながっていく展開は見事というほかありません。


◆好物の鮭大根

好きな物についても調べてみました。
あまり感情の起伏を見せない義勇さんが、微笑みを見せたという鮭大根。
これは神社とその神事から発想を得ているのではないかと考えています。
福岡県・島根県・北海道の3ヶ所に、鮭神社という神社があります。
かなり珍しいと思います。
福岡県と島根県の神社には何らかの交流があり、北海道の神社は福岡県の神社から分霊されたようです。
福岡県の鮭神社では12月に献鮭祭(けんけいさい)という神事があります。
近くの遠賀川にのぼってきた鮭を鮭塚にお供えするのですが、鮭が獲れないこともあり、その際は鮭のひれのような飾り付けた大根をお供えすることになっています。
鮭と大根の組み合わせはここから考えられているのではと思います。


◆まとめとむすび

義勇さんの名前を中心に考察してみました。
寡黙なキャラクターの中にいろいろなものが秘められていると思います。
伊黒小芭内や煉獄杏寿郎のような個性的な名前を横にすると冨岡 義勇はインパクトが薄め、なんなら普通の名前じゃないかと錯覚を起こしてしまうくらい控えめの印象ですが(実際は義勇も十分個性的な名前)、水という字は使わず、九州(佐賀)に軸足を置きながら北海道のモチーフをふんだんに組み込んだ上で、水柱としての強さや美しさを表す名前として意味も申し分ないほど込められているすごい名前だと思います。


義勇さんは登場人物の無惨を倒したその後が気になっている一人です。
痣を発現させているのに、最終回で子孫がいたのは驚きました。
痣者は平均25歳が寿命だとすれば、直後に結婚できたとしても四年くらいしかないことになるけどそれで子孫を残せたのか、それとも縁壱のように意外と長生きできたのか。

幸せは長さじゃないけど、どんな人生を送ったのか知りたい気持ちはあります。

 


◆参考文献、サイト
・原作『鬼滅の刃吾峠呼世晴 著  集英社出版 掲載紙 週刊少年ジャンプ
・『公式ファンブック 鬼殺隊見聞録』吾峠呼世晴  著 集英社出版 掲載紙 週刊少年ジャンプ
富岡八幡宮 公式サイト
・『島義勇伝』(「島義勇伝」製作委員会)エアーブック著  ダイブック出版
・All About「札幌の風水パワーの秘密!風水師が北海道の龍脈を解説」大谷修一 記
https://allabout.co.jp/gm/gc/410241/
・北海道ファンマガジン
開拓使のシンボルはなぜ五稜星になったの?知られざる北辰旗の歴史」
https://hokkaidofan.com/hokkaido-flag/
wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/
毘沙門天
「鮭神社」
富岡八幡宮

「妙見信仰」

「五稜旗」

澤村田之助(三代目)」

・日本遺産 大宰府 古代日本の「西の都」

~東アジアとの交流拠点~「観世音寺 宝蔵」

http://www.dazaifu-japan-heritage.jp/

・黄華堂
http://www.oukado.org/index.html
・カラーサイト.com
「海老色」
https://www.color-site.com/names/118
・布がたり
「変わり毘沙門亀甲」
https://www.nunogatari.co.jp/fs/kiji/200702
西宮神社 公式サイト
https://nishinomiya-ebisu.com/
・全力広報 つづきは三重で
名張市の“えべっさん”は2月8日! 鼻かけえびすと、ユニークなえびす祭り」佐野興平 記
https://www.mie30.jp/live/6038
蛭子神社 
http://www.jinja-net.jp/ebisu-jinja/annai.html
美保神社 公式サイト
http://mihojinja.or.jp/
・沼袋氷川神社
https://hikawa-n.or.jp/
・気になる話題・おすすめ情報館
https://netwadai.com/

 

 

 


 

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