【ネタバレ含む】珠世様と愈史郎と茶々丸の考察
満を持して21巻の表紙に2人が登場です。
カバー下のイラストも切ないですがとても素敵でした。
珠世様と愈史郎、そして茶々丸。
鬼でありながら鬼殺隊と共に無惨討伐戦に参加。大活躍していますが、珠世様と愈史郎は読みきり作品でも登場しており、きっと吾峠先生の思い入れも強いのだろうと想像しています。
そんな二人と一匹の設定を読み解いていきたいと思います。
なぜ一緒って、バラバラでやったら山奥に住んでいるある有名画家にライフルで撃たれそうな気がする。
しれっと最終回のネタバレが含まれますので、コミックで読むまで知りたくない方は以下を読まないようご注意願います。
◆珠世様について
四百年以上生きている鬼。
病に侵されるも子どもの成長を見届けたいがため鬼になるも、食人衝動で夫と子どもを食い殺してしまう。
その後も無惨の呪いにより、意思に反して逆らうことができず付き従わされていた。
継國 縁壱によって無惨が致命傷を負った際に一時的に呪いが外れ、逃亡。
その後、自身で体を弄り食人衝動を抑えることに成功、無惨の呪いを完全に外すことに成功する。
さらに無惨以外で人を鬼にすることにも成功。
鬼にした愈史郎と行動を共にしている。
鬼なので飲食はしないが、紅茶が好きで紅茶だけは飲めるよう体をいじっている。
◆愈史郎について
見かけは少年に近い青年だが、実年齢は35歳。珠世を珠世様と呼び、敬愛と崇拝の念を捧げており、分単位の日記をつけている。
実年齢35歳のわりには大人げないことも多々あり。
珠世様に鬼にしてもらった彼は、茶々丸を鬼にしている。
無惨戦の後は姿を消し、令和の世では山本と名乗る画家として珠世様の絵を描きながら生きている様子。
◆珠世様のモデル~三人の紅葉~
私は石見神楽「大江山」と「紅葉狩」に登場する紅葉姫、それとは別に和泉式部がモデルだと考えています。
まず紅葉姫について述べたいと思います。
名前は同じですがそのキャラクターは異なります。
「大江山」では鬼に連れさらわれていて、頼光一行を助ける人間の紅葉姫。
「紅葉狩」では道に迷った侍たちを喰おうとする鬼が紅葉姫です。
後者の「紅葉狩」に登場する紅葉姫は「紅葉伝説(もみじでんせつ)」をベースにしています。
これは長野県 戸隠、鬼無里(きなさ・現 長野県長野市)、別所温泉などに伝わる鬼女にまつわる伝説で、平維茂(たいらのこれもち)が鬼女・紅葉を討つというものです。
しかし鬼伝説がある一方で、紅葉姫は実在した人物と言われ、お墓もあります。鬼無里では「里にあって女性でありながら医学・文学などに通じ、人々を教え導いた素晴らしい(鬼女ではなく)貴女であった」と伝えられているそうです。
「鬼に無理矢理従わされていた女性」と「鬼であり医者の顔を持つ美貌の女性」。
珠世様のイメージそのものです。
◆珠世様の名前は?
珠世様には和泉式部をモデルにしたと思われる設定も見られます。
それは名前から読み取れることで、珠世様の名前は、和泉式部の伝説の一つ、和泉式部が「和泉式部」を名乗る前の名前が「玉世姫」であったと言われている伝承に由来していると思われます。
和泉式部といえば、大江山鬼退治の一行 藤原 保昌の妻。
和歌の名手で絶世の美女。とにかく男性にモテる華やかなイメージがある一方で、夫や娘に先立たれ、孤独が影を落とす、そんな女性です。
鬼退治伝説に和泉式部は登場しませんが、夫が鬼退治に関わっていたのですから、妻も関わっていたらとどうなるだろうと想像が及んでも不思議ではありません。
では、和泉式部が鬼退治に関わるとしてどのような力を持っている考えられるのでしょうか。
和泉式部はその美貌と才能から様々な伝説を持つ人物です。
柳田国男によると、京都誓願寺に所属する女性たちが、和泉式部の奔放かつ悩み多き伝説を語り物にして中世に諸国をくまなくめぐったため、全国各地に逸話や伝承が多く残っているそうです。
そのうちの一つに和泉式部と弁才天を同一視するものがあるのです。
和泉式部=弁才天=水神です。
つまり珠世様は医者としての紅葉姫の役割と併せて、人を治療し癒す水神の力を持つ者として設定されていると考えられるのです。
数多く語られた彼女の伝承の一つに、水と猫に関わるものがあります。
13才で故郷を離れた珠世姫(和泉式部)との別れを悲しんだ飼猫「そめ」が鳴きながら霊泉に浸かり病を治したといわれています。
その霊泉は猫啼温泉として、今も福島県にあります。
◆愈史郎と温泉
次に愈史郎の名前の由来について考えてみます。
珠世様が鬼にした愈史郎は名前の由来は、温泉が関係しており、四国の愛媛県にある神社「湯神社(四社明神)」から来ていると考えました。
「湯神社」の湯と別名「四社明神」の四で湯四郎→愈史郎です。
四国にありますが、神紋は「亀甲に花菱」ですので、出雲系の神社です。
この神社は道後温泉の起源と言われ、紆余曲折を経て、明治4年、湯神社に出雲崗神社を合祀して現在の形式となりました。
道後温泉といえば夏目漱石「坊っちゃん」が有名ですが、そういえば書生風の服装や短気なところが少し似ているかもしれません。
なぜ温泉なのかと言いますと、古代において温泉は薬と同様の医療行為と考えられていました。
「風土記逸文集」などにもオオナムチとスクナヒコナの二柱の神により人々の医療のために「禁薬(くすり)と湯泉(ゆあみ)」がもたらされた旨の記述があります。
温泉は古来から癒しであり、民間医療的な効果もあり、神話においても英雄が温泉で傷を治癒するという話は多く見られます。
特に古事記や日本書紀が描く神話の地には火山があり、その周辺は必ずと言っていいほど清い湧水や温泉に恵まれています。
記紀をベースにして火と水の力を描く「鬼滅の刃」では、火と水の恵みの温泉は欠かせない要素だと言えるでしょう。
炭治郎とつながりがある熊野の神事にお湯が使われますし、紅葉伝説も温泉地、和泉式部の伝説にも温泉にまつわるものがあり、珠世様と愈史郎、茶々丸の設定は温泉が共通のキーワードになっていると考えられます。
◆愈史郎と天狗
さらに愈史郎の設定には「天狗」が重要な構成要素となっているのではないかと思います。
日本において天狗を知らない人は少ないかと思いますが、少し天狗についても触れながら共通点を述べていきたいと思います。
そもそも天狗は中国で生まれた名前ですが、日本における天狗は、日本書紀に初めてその記載がみられます。
流星や彗星、隕石などが落下する際の様子や音を天狗およびその咆哮だと考えたようです。
天を翔る獣だった天狗はその後、山に結びつき、神、妖怪、山の精など様々に信仰、伝承されてきました。
修験者の間では神ともされ、民間では山で何だか説明のつかないことが起きればそれは天狗の仕業、といった具合です。
説明できない不思議なことをする存在ですが、基本的に姿を隠すことができ、空を飛び、千里を見通すことを得意とします。
愈史郎の血鬼術、姿を隠し、視界を操る術は
天狗の一般的な能力から発想を得ているのではと考えられます。
空を飛ぶ場面はありませんでしたが、無限城で落下した善逸を愈史郎が救う場面があります。
なぜここで助けにきたのが愈史郎だったのでしょうか。
鬼だから高所から落ちても死なないのだろうとも受け取れますが、飛ぶ行為に近いことができる存在が愈史郎だと吾峠先生の頭の中にイメージがあったからかもしれません。
天狗は基本的に姿を見せないと書いたばかりですが、その姿はなぜだかとても有名です。
天狗といえば、「鬼滅の刃」作品内で思い出されるのは鱗滝さんの天狗のお面でしょうか。
まさしくあれも一般的な「鼻高天狗」という天狗なのですが、天狗は種類があり、愈史郎の設定に組み込まれているのは鳥のような顔をしている「烏天狗」と呼ばれる天狗ではないかと私は考えています。
なぜなら、珠世様の設定に関わっていると思われる戸隠は飯縄/飯綱(いづな)権現が伝わる地方でもあるからです。
飯縄/飯綱権現は天狗を眷族としており、自身の姿も多くは白狐に乗った烏天狗の姿で表されます。
火防や武運の神として信仰を集める一方、飯縄権現が授ける「飯縄法」(天狗や狐を使役する術)は中世から近世にかけては「邪法」という俗信もありました。
この地で修行した三尺坊もまた烏天狗となり、秋葉権現として静岡県 秋葉山の守護神となりました。(※飯綱権現=秋葉権現説もあります。)
秋葉権現は火伏せの神として知られ、東京都 台東区にある秋葉原の地名の語源にもなっています。
戸隠から秋葉山を経て東京につながっていると考えると、パッと見ではわからないおもしろいつながりだと思います。
愈史郎の設定に天狗が含まれているとするなら、後に彼が名乗っていた「山本(やまもと)」という名字は「稲生物怪録(いのうもののけろく/ぶっかいろく)」に登場する魔王「山本五郎左衛門(さんもと ごろうざえもん)」が元だと推測されます。その姿は一説によれば三ツ目の烏天狗なのです。
ちなみに愈史郎の服装は「坊っちゃん」を思い出させると述べましたが、顔つきは江戸時代に天狗にさらわれた少年「寅吉」をイメージしているように思われます。三白眼で人を睨んで射抜くような鋭い目付きをしていたそうです。
愈史郎にあまり天狗的なビジュアルが見られないのは、そもそも隠された設定だからというのもあるかと思いますが、天狗は呼び名も地域によって様々で、姿も一定ではなく、鼻高や烏だけでなく女性や狼、人間と変わらない者までいるそうです。
世間一般で知られるような外見の特徴を含んでいなくとも不自然ではないでしょう。
「源平盛衰記」の一節によれば、天狗は知識を得ながらも仏道を求めない僧のなれの果てで、地獄にも堕ちず往生することもない天魔だと言われています。
これは、死なないために地獄にも天国にも行かず、生まれ変わることもない愈史郎の姿に重なります。
(単行本22巻によると珠世様が鬼にしたような記載が見えるのですが??)
和泉式部のモチーフから、猫が連れ添っていることは述べましたが、名前がそめではなく茶々丸になったのは何故でしょうか。
九州は鹿児島の妙見温泉に茶々丸という猫さんがいます。
たまたまということも考えられますが、「九州」で「温泉」で「妙見」、という名前からして吾峠先生がチェックして名づけた可能性は高いと思います。
(先生はおそらく妙見信仰も調べていたと考えられるためです。)
この温泉は猫さんがたくさんいる、いわゆる猫温泉です。猫と温泉が好きな人には、これ以上はない癒しスポットだと思います。
今では気軽に飲めるお茶ですが、そもそもは薬として日本に持ち込まれたものです。
またお茶は一般的にお湯を用います。
薬と湯、両方の要素が含まれた名前です。
◆まとめ
以上、珠世様と愈史郎、茶々丸について考察してみました。
鬼のように傷がすぐ回復しない人間にとって、彼らの治療や薬は炭治郎たちの大きな力になりました。
無惨戦の勝利は彼らの力なしではあり得なかったでしょう。にも関わらず、鬼であった彼らのたどった結末は過酷で死んでも生き残っても、本来の死を逃れようとした鬼は悲しくて寂しい存在だというのは作品内で一貫しています。
無惨と彼が作り出した鬼はいなくなりましたが、愈史郎と茶々丸は生き残っていました。
しかし最終回の一つ前のタイトルは「鬼のいない世界」でした。
人と鬼との違いは多々ありますが、力を合わせたり助け合ったり、意志をつないでいけるのが人で、その価値を共有できるなら、その身が鬼であっても心は人なのでしょう。
苦難の果てに、安らぎと幸福があればいいなと思います。
◆参考文献、サイト
・原作『鬼滅の刃』吾峠呼世晴 著 集英社出版 掲載紙 週刊少年ジャンプ
・『公式ファンブック 鬼殺隊見聞録』吾峠呼世晴 著 集英社出版 掲載紙 週刊少年ジャンプ
・石見神楽公式サイトhttp://iwamikagura.jp/
・秋の夜長に勝手に石見神楽を解説しようじゃないか。
http://iwamikagurawota.hatenablog.com/・wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/
「和泉式部」
「湯神社」
「飯綱権現/飯縄権現」
「秋葉権現」
「天狗」
「大天狗」
「紅葉伝説」