梅下のとはずがたり

思いつきを長々と語るブログ

新章スタートまでもう少し


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国民の権利を行使して選挙の投票も行きましたし、復活祭ということで卵も食べましたし(?)、あとは新章スタートを待つばかりとなりました。

 

ワールドツアーを観に行ったので全く知らないわけではないですが、とても楽しみです。
とても楽しみですが、
0:00過ぎまでテレビを観られない諸事情があり、録画組です。
・゜・(ノД`)・゜・。

 

個人的には原作は遊郭編の方がおもしろかったと思っていて、刀鍛冶の里編はおもしろいというよりは神様や奇跡というもの一つを見るような静かだけれども神秘的な雰囲気を感じました。

根絶やしになるほど虐げられようとも、何度も立ち上がり蘇るものに、人は希望を見出さずにはいられないものですね。

 

アニメは作品を通して描かれている「繋がり」を意識したデザインや音楽も素敵でしたし、登場しないあのキャラクターも顔を出すらしいのでそのあたりも楽しみに視聴したいなと思っています。

本編は鬼が2体(ある意味それ以上)、柱も2人出るのですから無限列車編、遊郭編に劣らぬ迫力の場面が観られると期待しています。

 

明日はできるだけネタバレを観ないように気をつけます。

 

 

 

【ネタバレ含む】鬼滅の刃における藤の花の考察

鬼滅の刃公式ファンブック 鬼殺隊見聞録 (ジャンプコミックスDIGITAL)

今回は「鬼滅の刃」のキャラクターではなく、藤の花の元ネタについて考察してみたいと思います。

藤の花は人物ではないので個人名やセリフこそありませんが、鬼を退治する上で重要な役割を持っています。毒として鬼にダメージを与えるのみならず人を守り、時には救うような場面もあります。

他のサイトや動画、書籍でもすでにいくつもの考察がなされていますが、それだけ魅力的な存在です。

 

できるだけ作品のネタバレは避けますが、アニメ化していない部分のネタバレを多少含みますので事前情報なしに漫画やアニメを楽しみたい方にはおすすめしません。

 

◆なぜ鬼は藤の花を嫌うのか。

鬼滅の刃」で藤の花といえば、無敵に近い鬼たちの数少ない弱点の一つです。

鬼が藤の花が弱点というのは、作品独自の設定だと言われています。

 

鬼滅の刃」で鬼にとっての藤の花とは

・とにかく匂いが嫌い。
・近づけない。忌避する。
・エキスのようなものも苦手。
 →体内に入るとしびれたり場合によっては死ぬ。ただし多用すると体内で分解してしまう可能性あり。

 

鬼たちはなぜ藤の花を嫌うのでしょうか?

ネットや本で調べたところ、大体このような考察がありました。


①日本固有種があり、歴史的に馴染みがある花だから。
→和風の話なので日本の植物を採用した。
マメ科である。
→豆は鬼の弱点といわれるためマメ科の藤を採用。
③好日性の植物である。
→鬼は日光が弱点。
④微小とはいえ毒がある。
⑤神社や祭で神事に使われており、日本書紀などで邪を払ったエピソードがある。


どれもうなずく部分はありますが、反面どれも藤にしかないものではないのが気になります。
①~⑤の理由ならば藤以外にも当てはまるものがあり、それらが選ばれず藤が選ばれる理由、藤と他の植物とは何が違うのか理由があるはずですが、その答えは今のところ得られていません。
私は「鬼の弱点は藤の花でなければならない理由」があるのではないか?と思うのです。たとえば鬼退治の伝説に絡んでいるとか、神話に絡む聖なる植物であるとか、鬼の弱点になるにふさわしい文化や物語が設定理由にあるのではないかと。


そう思って調べてみたものの、藤の花が登場する人生に希望を与えてくれそうな良い話はいくつかありましたが、鬼退治に結びつきそうな話は見あたりませんでした。
何より日本で鬼退治の植物といえば定番は桃か豆ではないでしょうか。
一般的なそれらではなく藤が選ばれた理由は何かを私なりに考えてみました。


◆鬼の原点は?

 藤は鬼の弱点ですので、一般的な知識ではなく鬼滅の刃」において鬼とは何かを考える必要があると思います。
もちろん鬼は大量の資料から得た情報を綿密に組み合わせて作られているオリジナルだろうと想像しますが、吸血鬼の影響が大きいと考えています。


これは「鬼滅の刃」の前身になる作品「過狩り狩り」が収められたコミックスから見出だすことができます。
単行本のあとがきに吾峠先生は、この作品が「鬼滅の刃」のベースになっており、着物を着た吸血鬼、和風のドラキュラを描いてみたかったと書かれています。


鬼滅の刃」に登場する鬼とはもともと吸血鬼であり、そこに様々な設定が付加されていったのだろうと考えられます。


◆そもそも吸血鬼とは

では吸血鬼とはどんな存在でしょうか。

東ヨーロッパを中心に昔から恐れられている魔物。夜、墓の中から、凶悪犯人、自殺者、破門者、早く埋葬されすぎた者などの死体がよみがえって現れ、長く伸びた犬歯によって熟睡している人の生き血を吸い、吸われた人はこの夜の訪問のとりことなり、死ねば吸血鬼に変じるというのが一般的な伝説である。              (コトバンクより)


吸血鬼は東ヨーロッパの伝承が西に伝わって創作されてきた存在です。
特に創作で有名なのはブラム・ストーカー著「吸血鬼 ドラキュラ(原題 Dracula)」でしょう。
原作が映画や舞台になっていますし、漫画などでもキャラクターとして使われてきました。ドラキュラは個人の名前ですがドラキュラ=吸血鬼といっても差し支えないほど認知されています。
ここでは挙げませんが「鬼滅の刃」がこの小説に影響を受けていることは、共通点が多数見出だせることからもわかります。

(善逸と禰豆子のカップリングが好き、無限列車編が好きな方は楽しめるのでは、と思います。)


◆吸血鬼の弱点

それでは吸血鬼の弱点は何なのか、小説「吸血鬼 ドラキュラ」やWikipediaなどを参考に一通り挙げてみます。

 

小説「吸血鬼ドラキュラ」における

吸血鬼の弱点

十字架(死なないけど苦手らしい。)
ニンニク(死なないけど匂いが嫌いらしい。)
聖水(死なないけどやけどしたりする。)
聖餅(せいべい。礼拝で用いるパン。対吸血鬼には聖水と同じような効果がある。)
日光(たまに克服する者もいる。古今東西、邪鬼は朝日を嫌うもの。)
木の杭で心臓を刺される(吸血鬼でなくても死ぬと思う。)
首を切られる(吸血鬼でなくても以下略。年季の入った吸血鬼は即、灰になる。)
(焚火や松明の炎など。近寄れない。)


Wikipediaなどによれば小説「吸血鬼 ドラキュラ」には登場しませんが、
・銀のナイフ、弾丸
これらも一般的に知られる吸血鬼の弱点に挙げられていました。19世紀後半以降にできた追加設定らしいです。


さらに塩や流水、鐘などにも弱いことがあるらしいという情報もありました。
どれがというより、聖性を帯びたもの全般を受けつけないということなのでしょう。
不老不死というと無敵な感じがしますが、意外と弱点が多い印象です。
死んでも復活できるとすれば弱点があっても問題ないのかもしれません。
実際、先に挙げたものの中で確実に吸血鬼を消滅させられる弱点は首を切る一択です。


それでは、これら「吸血鬼の弱点」を「鬼滅の刃での鬼の弱点」と照らしてみると、下記のようになると思います。

 

□十字架 →  ?
□ニンニク → ?
■聖水 → 水の呼吸、藤の花で作った薬
■炎 → 炎の呼吸、ねずこの燃える血
■日光 → 日光、日の呼吸(ヒノカミ神楽)
□木の杭で心臓を刺される → ?
■首を切られる → 日輪刀で首を切られる
■銀のナイフ、弾丸 → 日輪刀または銃


そのまま比較しても半分くらいは置き換えられそうです。
項目の中で合致していないのは下の3点。

 

□十字架

□ニンニク

□木の杭で心臓を刺される

 

ドラキュラといえばこれ、というような弱点ばかりが残りました。
これらの中で木の杭で心臓を刺すのは有名な退治法ですが小説「吸血鬼 ドラキュラ」によれば、木の杭を刺す目的は心臓を貫いて押さえつけておくことであって、道具は絶対に木の杭でなくても良さそうです。
小説では明確には語られていませんが、木の杭で刺す行為は死に近い重大なダメージを与えられるものの復活する可能性があり、とどめはどうしても首を切り離さなくてはいけないようです。
つまり「鬼滅の刃」ではこのように置き換えられると思います。

 

■木の杭で心臓を刺す→何かで体を刺して動けないようにし、日輪刀で首を切る、または日光を浴びせる。


残るは十字架ニンニクですが、これらは吸血鬼の弱点としてはかなり有名かつ特徴的です。
吸血鬼の弱点と「鬼滅の刃」における鬼の弱点が合致すると言うなら、この2つに相当するものが登場していなければなりません。
そして私はそれらが藤の花に隠されているのではないかと考えました。

つまり鬼の弱点に藤の花が選ばれた理由は、藤の花そのものの特色のみにあるのではなく藤の花が別のものに見立てられているから、または独自設定された何かが含まれているからではないでしょうか。

 

◆藤の花とニンニクの共通点

まずニンニクが藤の花に見立てられるとしたら共通点があるはずです。

その共通点を考えてみたいと思います。


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(※よひら画。藤の花が絶望的に下手くそという批判は受け付けます。)

ビジュアル的に共通点はおろか似ているところすら見受けられないと思いますが、「吸血鬼ドラキュラ」というキーワードを通して見ると共通点が2つあります。


まず一つは「外見・見た目」です。
吸血鬼を愛しよくご存知の方々には常識の事柄かもしれませんが、小説「吸血鬼ドラキュラ」内に登場するニンニクは球根(鱗茎)ではなく、花です


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(普段、食べられる部分は鱗茎(りんけい)。)
小説「吸血鬼ドラキュラ」ではニンニクの花の色は白いと描写されています。
紫色が代表的な藤の花とは並べてみても全く違うと思われますが、セイヨウニンニクと呼ばれる品種は紫色の花を咲かせます。


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そしてニンニクはヒガンバナ科だということも付け加えておきたいと思います。
これは青い彼岸花の発想にも繋がっているかもしれません。
花の咲き方は球状と房状で全然形が違いますが、小さな花が集まっていることは共通しています。


二つ目に、どちらの作品内でも明確に共通しているが描かれているのが「花の匂い」です。


作品の中では、藤の花の香りについて言及があります。
炭治郎や鬼の嗅覚が特に鋭いという部分もあるでしょうが、作品内の藤の花は特に匂いを強調して描かれています。


一方、ブラム・ストーカー作「吸血鬼ドラキュラ伯爵」ではニンニクの花が吸血鬼の弱点として登場します。
ヘルシング教授の指示で吸血鬼の忌避剤としてニンニクの花を部屋に敷き詰めるのですが、こちらも弱点となる理由は「匂い」です。

以上二点、藤の花とは全く似ても似つかないと思ってしまいそうなニンニクですが、花を見ると共通点があることがわかります。

 

ちなみに「邪悪なものが匂いを嫌う」「匂いを放つものが魔除けになる」という考えは、小説オリジナルの発想ではなく古代エジプトから見られるもので、東欧や日本だけでなく世界中で見られるものです。


◆藤花の中に十字架を見る

それでは吸血鬼の典型的な弱点、十字架はどうでしょうか。
私はこれも藤の花の中に見出だせるのではないかと思います。
キリスト教のシンボルである十字架と日本の固有の花とも言われる藤の花がどのように結びつくのか。
こちらは2つの可能性を考えました。


着想の可能性① 藤姓から
藤原氏から派生した藤のつく名字は全国で見ても多種多様にありますが、その中に「藤」さんという名字があります。
読み方は「ふじ」さん、「かずら」さんなどいくつかありますが、福岡県では「とう」さんと読む場合が多いそうです。


「とう」は発音すると「とお」にも通じていて「十」を連想することができます。
この字形から導き出される図像といえば十字架です。


こういう連想をすること自体が珍しいのではないか、その可能性についてですが、潜伏キリシタンが信仰を隠す方法の一つにキリスト教を意識してつけた「十(じゅう)」という漢字を使う名前を読みが同じ「重(じゅう)」に変えるなどして隠していたと推測される例があります。
「十(とお)」を同音の「藤(とう)」に変えたパターンがあっても不思議ではありません。
また、普段からこのような事例に関心を持っている人ならば、目にする名前の中にキリスト教のモチーフを見出だしたり、思いついたりすることもあるでしょう。
「藤」を「ふじ」ではなく「とう」と読むことに慣れていて、さらにキリスト教潜伏キリシタン隠れキリシタンの知識があれば、そこに「十」、もっと言えば十字架を見出だすことはごく自然な流れだと思います。
ですが、この着想なら「桃」も「とう」と読めますし、木へんの部分に十字を見出だせるので桃でも問題なかったのではと思ったのですが、「藤」の字は数えようによっては十字架は3つになりキリストの受難を想起させますし、ニンニクの花の特徴を組み合わせると藤の花が最適だったのではと考えられます。


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(『磔刑図』アンドレア・マンテーニャ画、1459年。Wikipediaより。イエスが死んだ時、他にも二人の罪人がいたと言われているため十字架は三本描かれる。)


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(藤の旧字体。グリフウィキより。草かんむりで十字架が二つ、読みで十字架を一つと数えれば三つの十字架が現れる。)


またこれは日本の神様にも言えることですが、藤は「ふじ」と読めば「不死」の音に重なることもあり、永遠なる神を象徴する花として名前もふさわしいように思います。


着想の可能性② 家紋から
もう一つは家紋からです。
藤と家紋というと作品内での藤の花の家紋の家を思い浮かべる方も多いと思います。

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(ジャンプコミックス鬼滅の刃」4巻 吾峠呼世晴 著より)
かつて鬼の脅威から守ってもらった恩義として惜しみない協力をしてくれる藤の花の家紋の家には、それを意味する藤花紋が大きく描かれています。


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(前出の絵より拡大)
これと似た家紋は実際にあって、下り藤(さがりふじ)という家紋です。

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(「内藤藤」家紋のいろは より)

この家紋は内藤新宿(今の東京都 新宿一丁目から三丁目あたり。新宿は善逸の出身地とされています。)、そこに下屋敷があった内藤家の家紋で、藤の花の家にある家紋はこれを元にデザインされているのではないかと思います。

もともと内藤家は左十字を家紋にしていたそうですが、キリスト教の取り締まりや弾圧が厳しくなりキリシタン寺が禁止とされた同時期に、下り藤に改められたと言われています。

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(家紋「丸に左十字」 Wikipediaより)

キリシタンの取り締まりが厳しさを増す江戸時代、内藤新宿は江戸の中にあって信徒の集まることができる場所だったといわれ、内藤家もキリスト教を信仰していたと考えられています。

その流れを踏まえて家紋を見ますと、先述の通り、藤(とう)は十(とお)の音と通じますし、下り藤の木にあたる部分は十字架と似ています。

藤花紋それ自体はキリスト教とは無関係ですが、キリシタンが信仰を隠すにあたって藤の図像にそれを託したことはあったかもしれません。
そしてこの話を知っていれば、藤の中に十字架を見出だすことは十分あり得ると思います。


無関係に見えるニンニク・十字架が潜伏キリシタンという存在を通すことで藤の花に姿を変え、和の雰囲気を前面に出しながら実はキリスト教の神聖性も込められている、もしそうなら吸血鬼にルーツを持つ鬼たちがそれとわからなくても神様を象徴する藤の花を恐れ忌み嫌うのは当然の反応といえます。


◆聖書と吸血鬼

最後に、「鬼滅の刃」がなぜ敵として吸血鬼を選んだのか、その理由について考えてみたいと思います。

鬼滅の刃」はキリスト教のモチーフ、隠れキリシタン潜伏キリシタンの歴史の上に日本の文化をいくつも重ねているような物語で、その根底に流れているのは九州に伝わるカトリックキリスト教です。

キリスト教といえば豊富な題材は西洋に求めることになりますが、西洋と一口にいっても世界は広く多様な文化と歴史があります。
ヨーロッパだけをとってみてもいろいろな鬼が存在しますが、キリスト教という視点から見た時に悪魔ではなく鬼を挙げるなら、筆頭は吸血鬼です。


なぜなら吸血鬼はキリスト教の価値観から最も遠い、対極にある存在として作られているからです。
人と同じ姿形をし、あるいは元は人でありながら神に近い不死を手に入れた存在。にもかかわらずキリスト教とは全く相容れない真逆の価値観を持った者。
ヨーロッパで聖書の考えがまだ今より支配的であった頃、当時の人々を恐怖のどん底に突き落とすため、東欧の伝説に聖書と逆の価値観を付加して創作された存在が吸血鬼なのです。


では吸血鬼がいかに聖書と正反対の存在であるか、それがわかる部分を旧約聖書新約聖書からそれぞれ見てみたいと思います。

まず旧約聖書から。

 

すべての生き物の命はその血であり、それは生きた体の内にあるからである。わたしはイスラエルの人々に言う。いかなる生き物の血も、決して食べてはならない。すべての生き物の命は、その血だからである。それを食べる者は断たれる。
(旧約聖書 レビ記 第17章 14節)

 

旧約聖書には「血を飲むな」と明確に書かれています。血を飲む行為、それをする者は聖書の教えと対極にある存在なのでしょう。


次に新約聖書を見てみます。
少し長くなりますが、ここには神と吸血鬼の不死に対する違いも読み取れるので引用します。
やりとりはまず、旧約聖書の「血を飲むな」の教えを否定するような言葉から始まります。

 

エスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
(ヨハネ福音書 第6章 53節)

 

ここだけ読むと、旧約聖書とは反対で吸血鬼を肯定するような言葉に思えます。
人の子の肉を食べ、血を飲めば命を保たせることが出来る、とも読めそうです。

さらに、こう続きます。

 

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
(ヨハネ福音書 第6章 54節)

 

旧約聖書の禁忌を無視した上に自らを差し出すような言葉です。
これは聞いていた弟子たちもさすがに驚き、とても受け付けられない様子を見せます。
しかし、イエスはさらにこう言いました。

 

命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
(ヨハネ福音書 第6章 63節)


私はこの話から、永遠に対して二つの考えが得られるように思うのです。
 
◎人の血肉を喰らうものは永遠の命を得る。
=肉体的に不死となる。
 
◎しかし肉体的な永遠には価値がない。
真に人の血肉を喰らい永遠の命を得るとは、霊・命が含まれた「言葉」を自らの内に取り込み、受け継いでいくことを意味している。
 
この永遠に対する考え方の対立は「鬼滅の刃」での鬼舞辻無惨とお館様が最後に交わした会話、「人の想いこそ永遠なのだ」とも通じるものがあります。
これはこの場面だけでなく作品全体に一貫している価値観でもあり、他にも炭治郎と始まりの剣士、煉獄さんとの関係などで見ることができます。


ヒノカミ神楽(日の呼吸)を使う炭治郎と始まりの剣士は会ったことがありませんし、血縁者でもありませんでした。
二人を結ぶ「血の記憶」とは血から能力をもらったのではなく、血が記憶した情報(技の動き)を炭治郎が受け取ったに過ぎません。
ヒノカミ神楽の発現は炭治郎の鬼を倒したい強い気持ちと、それに見合う努力ができる性格、日の呼吸が体質に合っていたことなど、奇跡に近い条件の重なりですが、それでも全て偶然であり剣士との血の繋がりによる力ではありません。
一方、双子の弟 巌勝や子孫の無一郎は天才的な剣の才を持っていましたが、日の呼吸やヒノカミ神楽を使えませんでした。炭治郎を凌ぐ才能と努力を持ち、始まりの剣士の血縁であるにも関わらず同じ呼吸を継承することはできないのです。
これは技や志、人の想いなどを受け継ぐ時、血縁あるいは肉体的・遺伝的な繋がりが絶対に必要なわけではないことを示しています。

 
もう一つの例として、炭治郎は煉獄さんとも血縁ではありませんでしたが、煉獄さんの言葉は何度も炭治郎の中で繰り返され、どうしても負けられない踏ん張らなければならないという時が来る度、力を与えられる場面が描かれています。
これは、人の魂は言葉であり受け取った誰かの中に生き続ける、それを発した人が肉体的な死を迎えてもその魂は誰かの中で永遠に生きていることを具体的に描いているのだと思います。


これらと真逆に描かれているのが鬼舞辻無惨と鬼たちで、彼らは明確に血で繋がっており時に呪縛とも取れる場面が多々見られます。鬼になった理由は、病から逃れるため・愛・快楽や強さの追求・子の成長を見届けたい・怒りなど様々ですが、鬼たちは自身の欲望を満たすため今の肉体を維持して生きることに強く執着する点が共通しています。
そうしてキリスト教の神の言葉とは真逆の存在と化してしまった鬼たちは、その死に際して救いはあっても決して天国へは行けないのです。

 

◆まとめ

以上、鬼が藤の花を恐れる理由について潜伏キリシタンキリスト教や吸血鬼の視点から考察してみました。
藤の花の美しさは日本では古来より知られているものですが、「鬼滅の刃」によってまたら新たな魅力を持って愛されるようになっていると思います。

作品内で藤の花は鬼が恐れる弱点としてだけでなく弱った人を守り助けてくれるような存在として描かれています。

植物である藤の花は自分からは動きません。

鬼が人がその存在を恐れたり利用したり、希望を見出だしたりするのを、ただ傍らで見守るように静かに咲いているだけです。

物語の背景については何も言及されていませんので本当のところはわかりませんが、暗闇に咲く藤の花の中に美しさだけでなく神様の存在や救いの光のようなものを感じられたら、また違った味わいで物語を楽しめるかもしれません。

◆参考文献、サイト
 ・原作「鬼滅の刃吾峠呼世晴 著  集英社出版 掲載紙 週刊少年ジャンプ

・「吾峠呼世春短編集」第1巻 吾峠呼世晴 著  集英社出版
・「公式ファンブック 鬼殺隊見聞録」吾峠呼世晴  著 集英社出版 掲載紙 週刊少年ジャンプ
・「吸血鬼 ドラキュラ」ブラム・ストーカー著 田内志文 訳 角川文庫出版
・「聖書(新共同訳)」
https://www.bible.com
・「吸血鬼の物語」
https://www.ccn.yamanashi.ac.jp/~morita/Culture/fantastique/vampire.html
wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/
「ニンニク」
「守矢氏」

ゴルゴタの丘
コトバンク https://kotobank.jp/
「吸血鬼」
・フリーグリフデータベース グリフウィキ
https://glyphwiki.org/wiki/GlyphWiki:
「藤(旧字体)」
・ブログ「バス停地名学」
https://plaza.rakuten.co.jp/zoshigayasanjin/diary/
「第312回 新宿追分 その4」
・「藤と日本人」有岡利幸八坂書房 発行
・「藤の実」寺田寅彦青空文庫
・家紋のいろは  https://irohakamon.com
「内藤藤」
・Photo AC  https://www.photo-ac.com/
・牧師の書斎  https://meigata-bokushin.secret.jp
申命記【補完7】血を食べてはならない」


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

最近の事とかアニメの感想とかのぼんやりとしたつぶやき

早くも梅の咲く季節になりました。
昨年も今年も梅見に行きたいと思っているのですが、明けてから新型コロナ第六波の勢いをひしひしと感じていて出掛けられずじまいです。
自身は幸運にも病は得ていません。今のところは。今のところは。

 

第六波はピークアウトしたとの報道を見ましたが、周囲ではまだ増えているくらいの印象もあって、いつ罹患しても不思議ではないし日々通勤している以上明日はわからないという不安は拭えません。
不安に思っても生活はしなければならず、気を付けて過ごすだけですけども。

出かけるにしても、寒さに加えて予約の有無、道中や目的地の混雑を考えるのは億劫になりがちです。

 

そんな中、毎週テレビの前で楽しみにしていた鬼滅の刃 無限列車編・遊郭編ですが、始まったかと思ったらもう終わってしまって早くも寂しさを感じています。

終わったと知っているのに何だか時計を見てしまう日曜日の夜。

もう終わり?って毎回思っていましたが、結局最後までそう思ってましたね。
あっというまでした。
無限列車編をあそこまで膨らませるなら、宇髄さんのエピソードをもう少し膨らませてくれても良かったと思うのですが、何かいろいろ事情があるのかもしれません。

 

全体的には歌や作画、声優の方々の演技どれも素晴らしかったと思います。

遊郭の表向きの美しさや賑やかさ、いかにも鬼が出てきそうな建物内のぎりぎりの暗さ、もぼんやりした明るさのバランス、吉原全景も見事でしたし、人物の鮮やかな色や、舞い上がる砂埃、戦闘シーンの速力感も臨場感たっぷりで、画面の手前の方でぶつかるところなど、軽くびっくりしてしまいました。

 

個人的には漫画ではかまぼこ隊の三人が堕姫に斬りかかる見開きのシーンが浮世絵みたいで気に入っているのですが、アニメになるとそれとはまた別の魅力を感じます。

どっちがということはなく、どっちも違っていてそれが良い。

最近のアニメってこんな迫力ある作画が可能なのかと驚くばかりです。
同時に技術はともかく、作るのはたぶん費用や労力としてはとても大変なんだろうなと想像してしまうのですが、でもすごい。

 

声優さんは、かまぼこ隊の四人はもちろん、音柱・宇髄天元役の小西克幸さんはイメージにぴったりでしたし(男前のファンサービスをしてくれたと聞いたことがあった)、お嫁さんたちはみんな愛らしいし、堕姫役の沢城みゆきさんは前評判通りかそれ以上、別人格かと思うほどコロコロ変わる堕姫が敵ながらとても魅力的でした。
妓夫太郎役の逢坂良太さんは登場までが楽しみと同時に、某ゲームの美少年役のイメージが強かったのでギャップを感じられて興味深かったです。

妓夫太郎をはじめ、謎の剣士のキャスティング、上弦の陸(後の弐)を登場まで隠してくれた配慮もとても素敵だと思います。
どの方も想像以上の演技というか、作品をさらに格上げしているなあと思いました。

 

既読でも新鮮な驚きをもって楽しめる作品はなかなかないと思います。

刀鍛冶の里編も放送時期はまだ出ていませんが、テレビ放映は決定ということで、実は玉壺と半天狗はあんまり好きじゃないのですが(堕姫と伎夫太郎の方が敵キャラとしては面白いし好き)、声と動きがついたら印象が変わるかもしれないので、柱二人の活躍と共に期待して気長に待ちたいと思います。

 

それまで元気でいられたらいいなと願いつつ。


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もうすぐ10月!

長い梅雨が明け、短い夏にバテている横で五輪とパラリンピックが終わり、はっと気づけば夜空には中秋の名月が浮かぶ季節になりました。
今年は8年ぶりの満月だとか。

青空に浮かぶ雲も、生い茂る草木もまだ夏の力強さを留めていますが、時折吹き抜ける風は涼を帯びていて、晩夏なのだと感じます。

そしてまだまだ先だと思っていた10月が目前。

あと3ヶ月もすれば一年が終わってしまうとは。
早い、早過ぎる…!!

来たる10月の楽しみは無論これです。

 

youtu.be

いろんなコラボ・関連イベントを見かけるようになりましたが、やっぱり物語を味わえるコンテンツが私は好きです。
特に遊郭編は話の雰囲気やキャラクターなど好きなところが多いので、どんな風に映像化されるのか、期待と想像を超えたものだといいな、と願いながら放送を待ちたいと思います。

 

◆おまけ

本日の幸運↓

USJに行った人からお土産をいただきました。天つゆの味? 美味しいです。

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落ち着いたら、行ってみたい。

 

【ネタバレ含む】時透無一郎の考察

鬼滅の刃 12 (ジャンプコミックスDIGITAL)

時透無一郎の名前の由来やモデルになった事物について考えてみたいと思います。

いろいろ考えているうちにとても時間がかかってしまいました。

そして自分でも引いてしまうほど長くなってしまいました。

内容以前に書き終えられたことに安堵しています。

 

原作を既読の方はご承知とは思いますが、時透無一郎は特に壮絶な体験をした過去が描かれています。
つまり元ネタを探せばそういう昔の話とはいえ、リアルな事例に行き当たるので、あの場面は無理とか悲惨な出来事は物語の中だけでいいですリアルは嫌ですと思われる方にはお勧めしません。

また原作の最終回までのネタバレを含みますので、アニメだけを観たい方、原作未読の方はご注意願います。


◆プロフィール

 

8月8日生まれ。
14歳。
階級は霞の呼吸の最高位 霞柱。
好物はふろふき大根
特技は紙切り、折り紙。


日の呼吸の使い手の子孫であり、剣を握って2ヶ月で最高位の柱まで上り詰めた天才剣士。
山で剣とは無縁の生活をしていたが、双子の兄と共に鬼に襲われ、瀕死の重傷を負いながら、兄が目の前で死んでいくのを見ていることしかできないという体験を経て、記憶を失ってしまう。
その後、戦いの中で記憶を取り戻していく。
無限城での上弦の壱 黒死牟と戦い、勝利に大きく貢献するも斬殺される。
享年14歳。


◆時透 無一郎の中心にあるもの


時透 無一郎にも他のキャラクターと同様に、様々なモチーフがぎゅっと詰め込まれていると思いますが、最も中心にあるイメージは「双子」だと思っています。
このキーワードを中心に、様々なモデルやモチーフがつながっているようです。

 

◆無限と双子の誕生日


まず誕生日から見てみます。
誕生日は8月8日になっています。
無一郎の無は無限の無だと物語の中で語られますが、無限を数字で表すなら日本ではおそらく8がふさわしいでしょう。
古代では「数えきれないほどたくさん」という意味を表し、漢数字では末広がりを意味することもあり、無限に広がる様を想起させます。
ですがこの漢数字「八」の成り立ちは二つに分かれたものを表しているそうです。
双子の無一郎にはぴったりと言えそうです。


◆双子の島


鬼滅の刃」の中において、「双子」は時透兄弟だけでなく、祖先の継国兄弟も双子でしたし、作品全体から見ても、重要なキーワードの一つなのでしょう。


作品を創作する上で重要な資料の一つになっている日本書紀の冒頭においても、双子は早々に登場します。
それは日本の島々が誕生する場面で、佐渡島隠岐島が双子だと書かれています。
神話ではこれが最初に日本で誕生した双子で、そのために後世でも双子が産まれるようになったと語られています。


このエピソードは時透兄弟の設定にも影響を与えていると考えられます。
私は、無一郎は佐渡島からモチーフを得ていると思っています。


時透という名前からもそれは考えられることで、佐渡島といえば朱鷺(トキ)が有名です。
朱鷺の島→朱鷺島→ときとう→時任→時透と名字が作られた可能性があります。
(名字だけだと兄弟どちらにも当てはまることになりますが。)


もっと言うと無一郎が活躍する「刀鍛冶編」の舞台そのものが、佐渡島から多くの着想を得ているのではと考えています。


◆刀鍛冶の里は佐渡島

少し話が逸れてしまうかもしれませんが、佐渡島と刀鍛冶の里の共通点を挙げてみたいと思います。


・刀鍛冶がいる
まず刀鍛冶ですが、実は佐渡島の刀鍛冶は産業としてはそんなに盛んではなさそうなのですが、佐渡市で唯一の刀工 新保基衡さんという方が刀の展示室を開いていて、製鉄の歴史から刀の制作工程、刀工自ら刀作りにおける哲学までを解説してくださるそうです。
「刀鍛冶編」は刀もさることながら、命懸けで刀を作る職人さんたちの姿も魅力的な部分です。
想像の域は出ませんが、吾峠先生が佐渡島を取材してその着想を得た可能性はあるのではないかと思います。


・からくり人形がある
修業時に登場した縁一からくり人形も印象的な存在の一つだったと思いますが、佐渡島の観光スポットには、金山の発掘跡や歴史伝説館などからくり人形が置かれている場所がいくつかあるようです。
 
・温泉もたくさん
甘露寺さんが疲れを癒していた温泉ですが、佐渡島には温泉が約25ヶ所あります。
 
・無明異焼(むみょういやき)
また佐渡島の特産の一つとして、無明異焼(むみょういやき)という焼物があり、無一郎の無にも通じますし、色は印刷の関係で変わってしまう部分があるので難しいですが、佐渡島の特産の一つ、椿の木の灰を釉薬としたナマコと呼ばれる色の無名異焼は無一郎の髪の青みがかった緑色とよく似ています。後述しますが、「椿の灰」が重要なポイントです。
 
・舞と古武術
そしてヒノカミ神楽とのつながりを感じさせる部分も佐渡島にあります。
古くから高貴な人々の流刑地にもされてきた佐渡島は、最先端の教養が伝わる地でもありました。
そのため伝統芸能である能も伝わっており、日本の能舞台の1/3は佐渡にあるそうです。
 
さらに注目すべきは、佐渡市の戸地(とじ)に伝わる古武道「白刃(しらは)」です。
 
白刃とは、かつて戸地集落にある千仏堂に武術に長じた大光坊という住職がその術を地元に伝えていたものでした。
それが世が平和になるにつれ忘れられていくのをたまたま千仏堂に長期滞在していた正覚坊という住職が惜しみ、元の技に佐渡伝統芸能である鬼太鼓(おにだいこ/おんでこ/おんだいこ とも)の動きを取り入れ、神社に奉納される伝統芸能神道土俗白刃(しんとうどぞくしらは)」となりました。
それが現代に伝承されています。
 
武術が伝統芸能と混ざり合い、神に捧げる舞になって伝承されていく、この流れは日の呼吸の技がヒノカミ神楽へと受け継がれていく流れとそっくりです。
 
そしてこの祭りは戸地にある熊野神社で行われています。
熊野といえば熊野本宮大社ともつながりのある神社で、炭治郎のモデルにもなっていると考えられるスサノオともつながりがあるのです。
 
時透 無一郎が始まりの呼吸の剣士の血統を継いでいるというのは物語を作る中で作者の手で意図して結びつけられたのではなく、人物のモチーフ中に既に存在している事柄であり、刀鍛冶の里の舞台設定とも分かちがたく結びついていることがわかります。
 


◆時透無一郎のモデル――どうして14歳?

時透無一郎の名前の由来、モデルになった人物について考えてみたいと思います。
 
先の項で時透の名字は佐渡島→朱鷺(とき)の島→ときとう→時任→時透と、ひねられていったのではないかと述べましたが、時透という漢字の名字はありません。
つまり、あえてこの字を使ったこだわりがあると考えられます。
 
時透 無一郎という人物を形作るにあたって、佐渡島という島だけでは人格を持ったキャラクターにするのは難しいと思います。
そこで人物設定を作る上でのモデルが隠されていると考えました。
その糸口として、彼の年齢から迫ってみたいと思います。
 
原作から離れてしまいますが、キメツ学園にそのヒントを見出しました。
公式スピンオフともいえるキメツ学園では、炭治郎たちは少し年齢が上になり高校生として描かれます。一方で、時透兄弟は中等部で14歳のままでした。
本編の最終回では転生した姿が描かれましたが、二人は赤ん坊でした。
なぜ彼らは14歳以上に成長しないのでしょうか?


そこで一つの仮説を立ててみました。
作者の中に彼らが大人になった姿というものがない。
なぜなら、モデルになった人物がその年齢で死んでいるからではないか?


鬼滅の刃」の人物モデルはその多くを九州から取られています。
早世でありながら何かしら名を残した九州の人物を探せばモデルに行き当たるのではないでしょうか。


そこで調べてみたところ、真っ先に浮かんだ人物が、天草四郎時貞です。
キリシタンが唯一起こした一揆 島原一揆の指導者とされている人物で、歴史の教科書にも登場するので全国的にもかなり有名だと思います。


島原一揆は約3ヶ月に及ぶ激しい抵抗を続けますがやがて鎮圧され死者は8000人以上、天草四郎は斬首されますが、当時14歳~16歳だったと言われています。(諸説あり。調べた感じでは16歳の記述が多い印象を受けます。)


時透の「時」は時貞の時、天草をテングサと読めば透明な食材、寒天の材料を意味します。
時任と書く姓は宮崎県に多いのですが、宮崎県には島津氏が作った寒天工場がありました。
時透の漢字には、天草四郎時貞の意味が込められている可能性があります。
たしかにキリシタンとその歴史は九州では特に重要な歴史の一部でしょう。


これはこれでつじつまが合いそうな気がしたのですが、個人的に寒天の特徴を表すのに透明というのが腑に落ちませんでした。
少々唐突な印象は否めませんし、何よりの違和感は霞柱なのに霞とは真逆の透明にこだわるのかがこれではわかりません。


たしかに天草四郎時貞は歴史の教科書に載っているほどの有名な人物ですが謎も多く、顔どころか年齢にも幅がありますし、2人いたのではないかという説すらあり、存在自体に霞がかかったような人物です。


早世したのは間違いないでしょうし、カリスマ性と謎めいた経歴は若き天才である霞柱のモデルに相応しいかもしれませんが、14歳だと年齢を定める人物モデルにしては少し弱い、あやふやな部分が多すぎる気がします。


そこで同じくキリシタンで14歳で亡くなった人物がいないか探してみました。
すると、1597年、豊臣秀吉の命令で長崎で磔刑に処された浦上26聖人の一人に14歳で殉教した聖トマス小崎という人物がいることがわかりました。


トマスという名前はキリストの弟子・十二使徒の一人で、アラム語双子を意味します。
十二使徒の聖トマスは研究熱心で情熱的であるものの少しずれたところがあったと言われています。
無一郎の2ヶ月で柱に昇りつめるほどの情熱と努力、記憶を失くしたがゆえの少しとぼけた感じは聖トマスの人格を反映したものと言えるかもしれません。


また、漢字でトマスは登明と表記するそうです。これは知らなければ通常はとうめいと読むでしょう。
この登明を透明に変換して、時透の透にしたのではないでしょうか。
そうすれば、天草とトマス小崎の両方を意味する上に、双子の意味も込められた名前になります。


またキリシタンが祈りを捧げる時に使われた物の一つに魔鏡がありますが、魔鏡は別名を透光鏡と言います。
日本神話から見ても鏡は重要な宝物の一つですし、日の光を受ける物でもあります。
日の呼吸の子孫にこの字を入れたいと考えられた可能性はあると思います。


浦上26聖人の一人、聖トマス小崎についてもう少し触れておきたいと思います。人物についてあまり詳しい話は残っていないようですが、処刑のため長崎に連行される道すがら、母と弟宛に遺書のような手紙を書いていることがわかっています。
その内容は、自身の死を前にしても母と弟の身を案じるものでした。


鬼滅の刃」でも隊員が皆、遺書を残しているとされていて、残された者の幸せを願う内容ばかりだとされていますが、この聖トマス小崎の手紙がモデルの一つになっているのではないかと私は考えています。


昔とはいえキリスト教を信仰していたという理由だけでこんな少年までもが、と思ってしまいますが、彼と一緒に処刑された日本26聖人のうち最年少は12歳だったそうです。


無限城での黒死牟戦において、無一郎が柱に磔にされてもなお抵抗を諦めない場面がありますが、磔刑にされても信仰を棄てなかった聖人たちの姿が反映されているように思います。


◆時透 無一郎とキリスト教


キャラクターの中でも特に時透無一郎にはキリスト教あるいは隠れキリシタンを彷彿とさせるデザインが随所に見られます。


たとえば、柱たちの特徴をよく表している日輪刀の鍔のデザインなどを見てみますと、無一郎の鍔は霞の呼吸の使い手のわりには形状が角ばっているのが印象的です。
時透兄弟が山の中で暮らしていた時の着物がまさに霞柄ですが、流れる煙や雲のような形をしています。
そういう観点からすれば、霞柱の刀の鍔はもう少し流線や丸みを採り入れたデザインであってもよさそうです。
ですが、ここにはモデルの一人の聖トマス小崎の名前の由来、十二使徒の聖トマスを意識したデザインが考えられたのではないかと思います。
聖トマスの象徴の一つが正方形なので、四角を使い、かつそれを組み合わせて十字架に近い形を作っているのではないでしょうか。

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(↑上から見た時透無一郎の刀の鍔 略図。正方形の組み合わせで十字架を作っている。/よひら画)

また、コミックス12巻の表紙絵ですが、無一郎の巻は背景の障子(格子?)、真ん中あたり縦一本が他の格子より太くなっているのがわかると思うのですが、それに対して無一郎が刀をほぼ水平になるように持っています。
少しアングルがずらされていますが、微妙に十字架を作っているように見えます。
たぶん狙ってやっているのではないかと思います。


さらに重要なモチーフの一つ、佐渡島も実はキリシタンに関係ある土地柄です。
佐渡島の金鉱掘りの技術は宣教師から伝えられたものだといわれますし、佐渡島にはキリシタンを処刑したといわれる場所や信者が葬られたキリシタン塚もあります。


先の項で、椿の木の灰を釉薬にした無名異焼について触れました。椿は日本固有の花であると同時に、五島列島や平戸のキリスト教では薔薇と同一視されている重要な花でもあります。


隠れキリシタンの摘発と弾圧は残酷で苛烈なものであったことが伝わりますが、その中でも明治元年長崎県五島列島で起こったキリシタン摘発(五島崩れ)は、時透兄弟を襲った悲劇と重なるような出来事だと思いますので、概要を挙げておきます。


1868年(明治元年)、五島列島久賀島で、隠れキリシタンの摘発があり、約200人の信徒が摘発され水責めなどの拷問の後、男女を分けただけの牢へ入れられました。
6坪(約20㎡)ほどの広さの牢に全員を押し込め、座ることもままならない状態が三日続き、後に交代で座ることができるようになったものの、ほとんど身動きがとれず食事もまともに与えられないまま、老人、子ども、女性と体力のない者から次々と拷問、飢え、病、衰弱で苦しみもがいて亡くなっていきました。
ここでは人間扱いされることはなく、人が死んでもその死体が牢に放置されることもあったようです。


仲間や家族が目の前で惨殺され腐敗していく様子を身動きできぬまま、自身も瀕死の状態で見ていることしかできない。


外国領事たちの批判によって拷問が中止されるまでこの状況が8ヶ月ほど続きました。
最終的に全員が解放されるまではさらに数年を要しています。


記憶をなくすほど辛く、それでも悔しさと怒りが残ったという無一郎の体験は、物語の完全な創作ではなく、鬼の仕業でもない人間の手で、実際に行われたことがモデルになっていると考えられるのです。


◆無一郎の名前の由来


次に無一郎の名前について考えてみたいと思います。
無一郎は名前の意味が作品の中で語られていて、「無限の無」を意味してつけられていることがわかっています。
これは物語のために作られた吾峠先生のアイディアによるエピソードだと思います。
失われた記憶がよみがえると共に、当初はネガティブな印象しかなかった無の字を一気にポジティブな意味へ変えてしまう物語の展開に魅了された読者の方がきっとたくさんいたのではないでしょうか。


ここでは物語での理由とは少し離れ、なぜ無という漢字が選ばれ、無一郎という名前になったのかについて考えてみたいと思います。


まず無という漢字はもともと雨乞いの舞を表す漢字でした。
下の部分「灬」は火を意味し、上の部分は飾りのついた長い袖を翻して舞う人の姿を表しているそうです。
本来は舞うという意味であった字ですが、「ない、存在しない」を象形文字で表すことが難しいことから、同音の無の字が代わりに使われ始め、やがて使い分けのために舞という字が新たに生まれ、無と舞に分かれていきました。
つまり本来は2つとも同じものを表している字ということになります。
ヒノカミ神楽の原点、日の呼吸の子孫の名前に舞の元になった字が使われているというのはいかにもぴったりだと思います。


新たに作られた舞の字は下の部分「舛」が両足が外に向かって開く形を表しています。
これを一人の両足ではなく二人の足だとする説もあるようです。その説を採るならば、舞の字は2人の人間の姿が表されていることになります。
吾峠先生は無の字の中に、舞の始まりと2人の姿を見ているのかもしれません。
 
また、無は隠れキリシタンがその信仰を隠した字でもあります。
日本では秀吉の時代から明治に至るまでキリスト教は公には信仰を禁じられていた宗教でした。
信徒はその信仰を文字通り死んでも隠さなくてはならず、礼拝する石像もそれとわかる物は作れませんし、十字架などあからさまにわかるしるしを刻むことはできません。
そこで特殊な仏像を作り、「南無阿弥陀仏」など一見すると仏教徒であるかのような文字を刻みながら、しかしよく見ると「無」の文字の三画目~七画目を他の部分と少し離して十字を強調するような形にすることでその信仰を表していました。
こうして信仰と祈りを続けてきたのです。

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(『二重十字』よひら画/十字架が8つ入っている。)

また無に隠れキリシタン存在そのものの意味を込めたとも考えられます。
キリスト教を長く禁教とした歴史を持つ日本ではキリスト教や信者に関わる記録や痕跡は徹底して隠され、抹消されていることも多くあり、今やキリシタンの歴史に対する一般的な認識とは歴史上ほとんど無に等しい存在になっているのではないでしょうか。
無に等しいかもしれませんが、確かに存在した人たち、その想いや歴史を凝縮して形になったのが時透無一郎というキャラクターなのかもしれません。


◆霧ではなく霞柱


霞の呼吸、霞柱についても考えてみたいと思います。
霞柱と聞いて、私が疑問に思ったのはなぜ霧や雲ではないのだろうという疑問でした。


先にも述べた通り、時任姓は宮崎県に多い名前ですが、宮崎県には霞神社という霞柱にぴったりそのままな神社があります。


ですが同時に、鹿児島県との境に霧島連山があり、日本の神話に深く関わる場所であり、霞と似た霧の名前がついています。
霧島東(きりしまひがし)神社と東霧島(つまきりしま)神社という双子みたいに名前がよく似た神社もあります。
日本の神話をベースにするならどちらかといえば霞より霧の方が合う気がします。


そこでなぜ霞が選ばれたのかについて考えてみました。
まず一つ挙げられるのは、霞は「霞んでいる状態」の全てを指すので、霧の意味をも含むかなり幅がある言葉だからというのが挙げられます。
雲でも霧でも煙でも、視界をもやっと覆えば霞なのです。


第二に、霞は日の出、日没に雲が美しく彩られる様を意味するからという理由が考えられます。
先祖である始まりの剣士が太陽のイメージがあるので、子孫にもそのつながりがある言葉を使いたかった可能性はあります。


第三に、福島県二本松市にあった二本松藩のイメージを人物のモチーフに組み入れたかった。
これが一番大きな理由ではないかと私は考えています。
二本松藩はかつてキリシタン大名が治める土地であり、東北のキリシタンの根拠地でもありました。
なぜ数あるキリシタン大名が治めた土地の中から二本松藩を選んだのかというと、二本松の名前の由来通り2本の霊松があり、双子のイメージとも合いますし、長崎県カトリック教会であり世界遺産にもなっている大浦天主堂へのルートに二本松口という似た名前の地名があり、これと紐付けてのことだと思います。
二本松城はまたの名を霞ヶ城と呼ばれ、現在は県立公園 霞ヶ城公園になっています。


霞ヶ城公園が無一郎と関連付けられていることは彼の特技からも読み取れます。
無一郎の特技は紙切り・折り紙となっていますが、二本松市紙切り、切り絵を得意としていた有名な人がいます。
智恵子抄」で有名な詩人 高村光太郎の妻・智恵子です。
設定に組み込まれたのは有名人だったからではなく、霞ヶ城公園内に智恵子の生家から移された藤があり、智恵子の藤棚と呼ばれていることに由来すると思われます。


出身地についても霞ヶ城公園内からモチーフと思われるものが見られます。
日影の井戸、月影の井戸、星影の井戸と呼ばれる日本の三井のうちの一つ「日影の井戸」です。
無一郎の出身地 景信山はこれと関連付けられているのではないかと思います。
ただ、他の設定と比べる少々つながりが弱い感じがします。
吾峠先生は以前、公式見聞録でうっかり無一郎の出身地を間違えるというミスをしましたが、関連付けが弱かったせいではないかと思いました。想像の域は出ません。


東北のキリシタンの根拠地となった二本松藩でしたが、その後は他の土地と同じくキリシタンの弾圧がありましたし、また戊辰戦争時は12歳から17歳の少年たちが出陣して戦死したことが伝わっています。


霞柱の、霞には「早世」、もっといえば「子どもと呼ばれるくらいの若い年齢であっても、信念を貫いて戦い、それに殉じる」という生き様、メッセージが強く込められた名前だと考えられるのです。


◆好物のふろふき大根について


大根の中でも彼の好物として考えられたのは時無大根(ときなしだいこん)だと思います。
時無というと、無限みたいで無一郎の好物としていかにもイメージがぴったりではないでしょうか。
味はピリッと辛いらしいです。何だか性格まで表しているようです。
栽培期間が短い極早生の大根で、「花不知早太り時無し大根(はなしらず さきぶとり ときなしだいこん)」と呼ばれ、「時無大根」の名前になりました。
これは花が咲く前に早く収穫できる大根という良い意味らしいのですが、「花知らず」はネガティブに解釈すれば「花盛りの時を知らない」とも読めます。
ここにも短命のイメージが込められているのではないでしょうか。


◆有一郎について


双子の兄 有一郎についても触れておきたいと思います。
有一郎は何度か登場するものの、作品の時間軸では既に亡くなった人物です。


ですが、弟が無だから有というような無一郎の設定の一部ではない、有一郎もまた一人のキャラクターとして作り込まれていることを読み取ってみたいと思います。


まず名前ですが、無一郎に佐渡島のイメージがふんだんに使われているので、有一郎にはきっと隠岐島のモチーフがどこかに採り入れられているはず、という予想を元に調べてみました。


島根県にある隠岐諸島は4つの島を主として約180の島々で構成される群島です。
山陰地方では今でも隠岐の國と呼ばれることもあるそうです。
その歴史は古く、古事記では三つ子の島と書かれています。(主な島は4つなのになぜ三つ子なのかは諸説あるようです。)
佐渡島と同じく、古くは聖武天皇の時代から後鳥羽上皇後醍醐天皇小野篁など高貴な人々の流刑地とされてきました。
最先端の教養を持つ人々が流れ着く土地柄、独自の文化が生まれたようです。


神社も多くありますが、その中に有木神社(あらきじんじゃ)という神社があることがわかりました。
この神社は大正時代に有木地区内の小社8社を合祀していますが、その中に隠岐の國総社がありました。
つまり有一郎の有は隠岐の國の神様が集められた神社から一字取られていると考えられます。


また佐渡島と違い、隠岐にはキリシタンにまつわる話は見つかりませんでした。
しかし双子というからにはある程度は同じ要素を持ち合わせているのではというのと、死ぬ前に自身の過ちを告白し弟が助かることを願った彼もまたキリシタン的な部分を持っているのではとの考えから、天草四郎が活躍した長崎県の島原地方に目を向けてみますと、有家町(ありえちょう)という名前の町がありました。


かつて有家村が存在し、島原の乱に参加した村民が全滅し無人と化した歴史もある場所で、長崎県キリシタン墓碑群の多くがこの地域に集まっています。
島原のキリシタンの歴史から見ると、有の字は激しい戦いによる多くの犠牲者、殉教者のイメージが結びついているとも考えられます。


一方で、同じ有家と書き、うげと読む地名が岩手県にもあります。こちらは藤原有家(ふじわらのありいえ)が流されたことに由来する地名だそうです。
藤原有家が流された理由は「鬼に陥れられた」からだそうで、時透兄弟が鬼の襲撃にあったという話はひょっとしたら二つの有家の土地が持つ歴史が混ぜて作られたものかもしれません。


有一郎は無一郎がいたから反対で有と安直に決まった名前ではないし有の字にもたくさんの意味が込められているのだと考えられるのです。


次に有一郎の性格を見てみます。
無一郎の記憶の中で描かれる有一郎は、物の見方がネガティブであまね様たちの訪問に対しても追い返してしまうやりとりがありました。

これはイエス使徒であった聖トマスの性格の一部分を反映したものではないかと思われます。
聖トマスは研究熱心などと言われる一方、疑い深いところもあったと言われていて、簡単に人を信用しない有一郎の性格はその部分を反映したものなのでしょう。


最後に、死後に二人が会話を交わす場面で描かれる銀杏(イチョウ)について考えてみたいと思います。
あの世とこの世の間のような、あるいは夢の中のような世界で2人が会話を交わす場面はたくさんの銀杏の葉が舞うのが印象的です。
物語の中で二人には銀杏に対する特別な思い出があったとは語られていませんので、銀杏は二人を象徴するものだと考えられます。


この銀杏は有一郎のモチーフがとられた隠岐島から発想を得ているのではないかと思います。
隠岐島にはお葉付き銀杏という銀杏の変種があります。
一般的な銀杏がさくらんぼのように2つに分かれて実を結ぶところを、お葉付き銀杏は一方には実、もう一方には葉が現れるそうです。
一つは種となって実を結び、もう一つは葉となり枯れていく。
生きて後に繋いでいけるのは片方だけ、という2人の運命を銀杏が表現しているのでしょう。
 


◆まとめとむすび


今回、調べていて気がついたのですが、「鬼滅の刃」は日本書紀や和風の装いを前面に押し出していながら、実は物語全体にキリスト教のモチーフが絡んでいます。
鬼殺隊サイドのキャラクターはほとんど全員、何かしらの聖書、キリスト教からとられたモチーフが隠されています。
思い付くだけで、煉獄さん、継國兄弟、炭治郎、善逸、伊之助、義勇さん、宇髄さん、伊黒さん、甘露寺さんにはキリスト教のモチーフが入っています。
(なんてことだ、関係ないと思ってカットしたのに追記が必要だなんて…!)
これは吾峠先生がカトリックキリスト教を信仰なさっているからだと考えられます。(根拠はありますが、作品と離れすぎてしまうのでこれ以上は控えます。)


さらに長い禁教によりわからなくなっているだけで、日本の文化の中にはキリスト教の影響が受けているものが実はたくさんあるからとも言えますし、特に九州はその影響が色濃く見られる地域があるのでしょう。


時透無一郎に対する私の個人的な思いですが、何だかんだと言いながら、生きていて欲しかった…!です。
天才と言われた彼の全盛期の剣技を是非見てみたかった。
無一郎の言う通り、人生は長さじゃないけど、無限の可能性を秘めた若者が成長してどんな姿を見せてくれるのか、それを見てみたいと思うのもまた人の性ですよね。


皆の未来を守るために、自分の未来を引き換えにして戦い抜いた最年少の剣士が、鬼のいない来世で今度こそ兄と天寿を全うしてくれることを願っています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

◆参考文献、サイト
・原作『鬼滅の刃吾峠呼世晴 著  集英社出版 掲載紙 週刊少年ジャンプ
・『公式ファンブック 鬼殺隊見聞録』吾峠呼世晴  著 集英社出版 掲載紙 週刊少年ジャンプ
・『現代語訳 日本書紀 【抄訳】』菅野雅雄著 新人物文庫
・『江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた』古川愛哲 著 講談社出版
・『彷徨える日本史 誣説が先行する南海の美少年天草四郎時貞の実像』源田京一 著 幻冬舎
・『くらしを彩る 日本の伝統色事典』石田結実 著 マイナビ文庫
wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/
天草四郎時貞
「聖トマス」
佐渡島
隠岐島
島原の乱
「魔鏡」
「五島崩れ」
二本松藩
有家町
藤原有家
・名字由来ネット
「時任」
https://myoji-yurai.net/sp/searchResult.htm?myojiKanji=%E6%99%82%E4%BB%BB
佐渡日報
「刀工・新保さん「ぜひ体感」 展示室を開設 佐渡市
https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/sp/news/article.php?id=NEWS0000023380
・さど観光ナビ
佐渡歴史伝説館」
https://www.visitsado.com/spot/detail0003/
じゃらん観光ガイド
佐渡金山遺跡」
https://www.jalan.net/kankou/spt_15601af2170019234/kuchikomi/0000574711/
・無明異焼 玉堂窯元 公式サイト
https://www.gyokudou.com/
・Onsen News
「【新潟】実は温泉の島だった!17ヶ所もの源泉、約25ヶ所の温泉施設がある佐渡島
https://onsennews.com/news181016_sadogashima_onsen/
和樂web
「日本の能舞台の3分の1が集まる地、佐渡薪能天皇世阿弥のもたらした芸能文化を見る」
https://intojapanwaraku.com/travel/1482/
・刀剣ワールド
佐渡に伝わる貴重な古武道 白刃」
https://www.touken-world.jp/tips/32772/
・戸地ライフ
「白刃保存会」
http://toji.life.coocan.jp/shiraha.html
・47NEWS
「(182)「無」 袖をひるがえして舞う人」
https://www.47news.jp/19545.html
・OK辞典
「無」
https://okjiten.jp/sp/kanji730.html
日本二十六聖人
http://www1.odn.ne.jp/tomas/nihonseijin.htm
・小崎登明93歳日記
http://tomaozaki.blogspot.com/2017/02/blog-post_5.html?m=1
・『福島歴史物語』桐屋号 blog
「魔鏡」
https://plaza.rakuten.co.jp/qiriya/diary/201404010000/?scid=wi_blg_amp_diary_next
・地球はとっても丸い
「第13回 椿」
https://chikyumaru.net/?p=8669
・つばきのしまだより
https://www.city.goto.nagasaki.jp/tsubaki/010/050/20190122223311.html
・一般社団法人都城観光協会
「島津寒天工場跡」
https://miyakonojo.tv/summary/shimazukantenkoujyouato
・高原観光協会
「霞神社」
「霧島東神社」
http://www.takaharu-tourism.jp/
・東霧島神社
http://tsumakirishimajinjya.com/
・Oxford languages
「霞」
https://languages.oup.com/
二本松市観光連盟
「県立霞ヶ城公園
https://www.nihonmatsu-kanko.jp/?p=672
・にほんまつ観光処
「智恵子の生んだ作品」
https://www.city.nihonmatsu.lg.jp/sp/page/page001369.html
・玄松子の記憶
「有木神社」
https://genbu.net/data/oki/araki_title.htm
隠岐経済新聞
隠岐・中ノ島「お葉つきイチョウ」色付く 島々の山々も紅葉」
https://oki.keizai.biz/headline/383/
・日本の巨樹・巨木
「オハツキイチョウ
http://www.kyoboku.com/ohatsuki/
ながさき旅ネット
「有家キリシタン史跡公園(桜馬場キリシタン墓碑群)」
https://www.nagasaki-tabinet.com/junrei/572
・デーリー東北
「北奥羽の地名【有家】=洋野町/どんな由来?」
https://www.daily-tohoku.news/archives/45229

 

 

休みとは、何かしてても何もしなくてもあっという間

連休が明けて、久しぶりに外に出ました。
雨でなくてよかったです。

平日は仕事で外出している以上、休みの日くらいは医療従事者の方々に迷惑をかけることはするまいと絶対に外に出ないと誓い、休みの前に買物をまとめて済ませ、ほぼ完全に籠っていました。

籠りすぎて太陽の光に軽く挙動不審になりそうです。

外ってこんなに明るかったっけ?

(人としてダメな感じもしないではない。)
マスクも久しぶりにつけたのでちょっと暑苦しさも感じました。
数日前は毎日着用していたのに、人間、楽な方へ流されていくものだと思ったり。

昨年から人混みを避けるべく早く家を出ることにしているものの、連休明けの人通りは思っていたより少なめで、もう少し混むのかなと思っていたので少々拍子抜けでした。

今年は長めのお休みの人も多いのかもしれないと想像したりしています。でも私が覚えてないだけで例年こんなものだったかもしれません。

私自身の仕事は連休も出勤かという勢いだったのですが、職場が別件で忙しくお前なんぞに構っている暇はないというありがたいお言葉を頂戴した為(言い方は極めてマイルドでしたが要はそういうことで)、土壇場で休みになりました。

経緯はともかく休みをもらえたわけですし、おかげで読書や書き物をする時間も取れたのですが、一方で職場は別件を処理して私の仕事は連休中放置されるため、溜まり続けているので…今後は戦々恐々です。

このご時世、仕事ができるというのは仕事があり自分が動ける程度に元気ということでもあるので、ありがたいことだとして勤しみたいと思います。

2月のあれこれの話

2月は逃げるとはよく言ったものです。

短い月のわりにいろんなことがありました。

年が明けて、あれこれとかまけているうちにもう梅の咲く頃です。

どこかで梅見をしたい気持ちはありますが、全国的に緊急事態宣言が解除されたら人出が増えてしまってまた危ないかなと案じてしまいます。

でも屋外ですし、どこかで機会を見つけて楽しめるくらいで十分なんですが(欲を言えばその場でブログを更新したりしてみたいけどそれくらいならできるか?)、ただ「梅を観る!」というほどの大きさの梅の木は近くにないんですよね。

(私が知らないだけだろうか??いやたぶんない)

 

◆鬼滅な話

節分に合わせてなのか?今月は『鬼滅の刃』関連の新書籍や新情報があって、楽しませてもらいました。

どれが一番ということはないのですが、特に話題になったのはアニメ2期「遊郭編」テレビ放送決定でしょうか。

https://youtu.be/0jqxkDfmvYo

音楽がかっこいい…!

遊郭編は個人的には一番好きな話ですし、物語内の時間の流れが数日かかるのでこれは映画で一気に観るのではなく、テレビでやってほしいと思っていたのでこれは嬉しいお知らせ。

夜景の絵もきれいで期待は高まるばかりです。

 

あと本編からは逸れてしまいますが、キメツ学園 バレンタイン編もありましたね。

実は当日、あろうことか寝過ごしてしまったのですが…ネットの力に救われました。

(公式さん優しい…。)

一気に視ました。おもしろかったです。

原作と違ってバレンタイン当日まで描かれていて既読でも楽しめました。

 

◆書籍のこと

鬼滅の刃公式ファンブック 鬼殺隊見聞録・弐 (ジャンプコミックスDIGITAL)

公式ファンブック2が出ましたね。

その後のお話も読めるということで、購入された方も多かったのではないでしょうか。

物語進行上、描かれなかったキャラクターの設定もぎっしり詰まっています。

個人的には考察のヒントとかないかしら、という下心があったんですけど、そんなものは素で読んだところではヒトカケラも見出だせませんでした。ヒトカケラも。

その徹底ぶりを尊敬しています。

見所がたくさんあるファンブックですが、個人的にはおまけマンガとして収録されている初代担当さんとのやりとりが興味深かったです。もっというならその中に登場する「連載を打ち切られないための虎の巻」が気になります。

漫画家じゃないけど、その虎の巻は読んでみたいです。

 

『鬼滅の刃』吾峠呼世晴画集―幾星霜― (愛蔵版コミックス)

 

私は漫画だけでなくイラスト集を眺めるのもわりと好きなんですが、吾峠先生の絵は仕草や表情が生き生きしているところが好きです。

漫画だと物語やその状況が伝わるような絵を描かなきゃいけないと思うのですが、イラストはキャラクターの人物像や雰囲気に焦点が絞られていたり、本筋とは違う世界観で描かれることもあり、これはこれで見ていてとてもおもしろいです。

このイラスト集は描き下ろしも多数含まれていて、白黒なんですけど、良いです。

かっこいいものあり微笑ましいものあり。

ストーリー重視だからイラスト興味ないわという方もいらっしゃるとは思いますが、カップリングが好きな方には、かまぼこ隊のその後を思わせるイラストも含まれているのでおすすめです。

戦いが終わった後の柔らかな表情が素敵です。

 

◆まとめ

長々書いてるうちに2月が終わってしまいました。

最近、制限を設けるところとそうでないところがはっきりかつ限定的になってきたので、今年は去年よりは全体的に忙しくなっていくのかなと予想しています。

なかなか先は見えない世の中ですが、体に気をつけて、乗りきっていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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