梅下のとはずがたり

思いつきを長々と語るブログ

【ネタバレ含む】時透無一郎の考察

鬼滅の刃 12 (ジャンプコミックスDIGITAL)

時透無一郎の名前の由来やモデルになった事物について考えてみたいと思います。

いろいろ考えているうちにとても時間がかかってしまいました。

そして自分でも引いてしまうほど長くなってしまいました。

内容以前に書き終えられたことに安堵しています。

 

原作を既読の方はご承知とは思いますが、時透無一郎は特に壮絶な体験をした過去が描かれています。
つまり元ネタを探せばそういう昔の話とはいえ、リアルな事例に行き当たるので、あの場面は無理とか悲惨な出来事は物語の中だけでいいですリアルは嫌ですと思われる方にはお勧めしません。

また原作の最終回までのネタバレを含みますので、アニメだけを観たい方、原作未読の方はご注意願います。


◆プロフィール

 

8月8日生まれ。
14歳。
階級は霞の呼吸の最高位 霞柱。
好物はふろふき大根
特技は紙切り、折り紙。


日の呼吸の使い手の子孫であり、剣を握って2ヶ月で最高位の柱まで上り詰めた天才剣士。
山で剣とは無縁の生活をしていたが、双子の兄と共に鬼に襲われ、瀕死の重傷を負いながら、兄が目の前で死んでいくのを見ていることしかできないという体験を経て、記憶を失ってしまう。
その後、戦いの中で記憶を取り戻していく。
無限城での上弦の壱 黒死牟と戦い、勝利に大きく貢献するも斬殺される。
享年14歳。


◆時透 無一郎の中心にあるもの


時透 無一郎にも他のキャラクターと同様に、様々なモチーフがぎゅっと詰め込まれていると思いますが、最も中心にあるイメージは「双子」だと思っています。
このキーワードを中心に、様々なモデルやモチーフがつながっているようです。

 

◆無限と双子の誕生日


まず誕生日から見てみます。
誕生日は8月8日になっています。
無一郎の無は無限の無だと物語の中で語られますが、無限を数字で表すなら日本ではおそらく8がふさわしいでしょう。
古代では「数えきれないほどたくさん」という意味を表し、漢数字では末広がりを意味することもあり、無限に広がる様を想起させます。
ですがこの漢数字「八」の成り立ちは二つに分かれたものを表しているそうです。
双子の無一郎にはぴったりと言えそうです。


◆双子の島


鬼滅の刃」の中において、「双子」は時透兄弟だけでなく、祖先の継国兄弟も双子でしたし、作品全体から見ても、重要なキーワードの一つなのでしょう。


作品を創作する上で重要な資料の一つになっている日本書紀の冒頭においても、双子は早々に登場します。
それは日本の島々が誕生する場面で、佐渡島隠岐島が双子だと書かれています。
神話ではこれが最初に日本で誕生した双子で、そのために後世でも双子が産まれるようになったと語られています。


このエピソードは時透兄弟の設定にも影響を与えていると考えられます。
私は、無一郎は佐渡島からモチーフを得ていると思っています。


時透という名前からもそれは考えられることで、佐渡島といえば朱鷺(トキ)が有名です。
朱鷺の島→朱鷺島→ときとう→時任→時透と名字が作られた可能性があります。
(名字だけだと兄弟どちらにも当てはまることになりますが。)


もっと言うと無一郎が活躍する「刀鍛冶編」の舞台そのものが、佐渡島から多くの着想を得ているのではと考えています。


◆刀鍛冶の里は佐渡島

少し話が逸れてしまうかもしれませんが、佐渡島と刀鍛冶の里の共通点を挙げてみたいと思います。


・刀鍛冶がいる
まず刀鍛冶ですが、実は佐渡島の刀鍛冶は産業としてはそんなに盛んではなさそうなのですが、佐渡市で唯一の刀工 新保基衡さんという方が刀の展示室を開いていて、製鉄の歴史から刀の制作工程、刀工自ら刀作りにおける哲学までを解説してくださるそうです。
「刀鍛冶編」は刀もさることながら、命懸けで刀を作る職人さんたちの姿も魅力的な部分です。
想像の域は出ませんが、吾峠先生が佐渡島を取材してその着想を得た可能性はあるのではないかと思います。


・からくり人形がある
修業時に登場した縁一からくり人形も印象的な存在の一つだったと思いますが、佐渡島の観光スポットには、金山の発掘跡や歴史伝説館などからくり人形が置かれている場所がいくつかあるようです。
 
・温泉もたくさん
甘露寺さんが疲れを癒していた温泉ですが、佐渡島には温泉が約25ヶ所あります。
 
・無明異焼(むみょういやき)
また佐渡島の特産の一つとして、無明異焼(むみょういやき)という焼物があり、無一郎の無にも通じますし、色は印刷の関係で変わってしまう部分があるので難しいですが、佐渡島の特産の一つ、椿の木の灰を釉薬としたナマコと呼ばれる色の無名異焼は無一郎の髪の青みがかった緑色とよく似ています。後述しますが、「椿の灰」が重要なポイントです。
 
・舞と古武術
そしてヒノカミ神楽とのつながりを感じさせる部分も佐渡島にあります。
古くから高貴な人々の流刑地にもされてきた佐渡島は、最先端の教養が伝わる地でもありました。
そのため伝統芸能である能も伝わっており、日本の能舞台の1/3は佐渡にあるそうです。
 
さらに注目すべきは、佐渡市の戸地(とじ)に伝わる古武道「白刃(しらは)」です。
 
白刃とは、かつて戸地集落にある千仏堂に武術に長じた大光坊という住職がその術を地元に伝えていたものでした。
それが世が平和になるにつれ忘れられていくのをたまたま千仏堂に長期滞在していた正覚坊という住職が惜しみ、元の技に佐渡伝統芸能である鬼太鼓(おにだいこ/おんでこ/おんだいこ とも)の動きを取り入れ、神社に奉納される伝統芸能神道土俗白刃(しんとうどぞくしらは)」となりました。
それが現代に伝承されています。
 
武術が伝統芸能と混ざり合い、神に捧げる舞になって伝承されていく、この流れは日の呼吸の技がヒノカミ神楽へと受け継がれていく流れとそっくりです。
 
そしてこの祭りは戸地にある熊野神社で行われています。
熊野といえば熊野本宮大社ともつながりのある神社で、炭治郎のモデルにもなっていると考えられるスサノオともつながりがあるのです。
 
時透 無一郎が始まりの呼吸の剣士の血統を継いでいるというのは物語を作る中で作者の手で意図して結びつけられたのではなく、人物のモチーフ中に既に存在している事柄であり、刀鍛冶の里の舞台設定とも分かちがたく結びついていることがわかります。
 


◆時透無一郎のモデル――どうして14歳?

時透無一郎の名前の由来、モデルになった人物について考えてみたいと思います。
 
先の項で時透の名字は佐渡島→朱鷺(とき)の島→ときとう→時任→時透と、ひねられていったのではないかと述べましたが、時透という漢字の名字はありません。
つまり、あえてこの字を使ったこだわりがあると考えられます。
 
時透 無一郎という人物を形作るにあたって、佐渡島という島だけでは人格を持ったキャラクターにするのは難しいと思います。
そこで人物設定を作る上でのモデルが隠されていると考えました。
その糸口として、彼の年齢から迫ってみたいと思います。
 
原作から離れてしまいますが、キメツ学園にそのヒントを見出しました。
公式スピンオフともいえるキメツ学園では、炭治郎たちは少し年齢が上になり高校生として描かれます。一方で、時透兄弟は中等部で14歳のままでした。
本編の最終回では転生した姿が描かれましたが、二人は赤ん坊でした。
なぜ彼らは14歳以上に成長しないのでしょうか?


そこで一つの仮説を立ててみました。
作者の中に彼らが大人になった姿というものがない。
なぜなら、モデルになった人物がその年齢で死んでいるからではないか?


鬼滅の刃」の人物モデルはその多くを九州から取られています。
早世でありながら何かしら名を残した九州の人物を探せばモデルに行き当たるのではないでしょうか。


そこで調べてみたところ、真っ先に浮かんだ人物が、天草四郎時貞です。
キリシタンが唯一起こした一揆 島原一揆の指導者とされている人物で、歴史の教科書にも登場するので全国的にもかなり有名だと思います。


島原一揆は約3ヶ月に及ぶ激しい抵抗を続けますがやがて鎮圧され死者は8000人以上、天草四郎は斬首されますが、当時14歳~16歳だったと言われています。(諸説あり。調べた感じでは16歳の記述が多い印象を受けます。)


時透の「時」は時貞の時、天草をテングサと読めば透明な食材、寒天の材料を意味します。
時任と書く姓は宮崎県に多いのですが、宮崎県には島津氏が作った寒天工場がありました。
時透の漢字には、天草四郎時貞の意味が込められている可能性があります。
たしかにキリシタンとその歴史は九州では特に重要な歴史の一部でしょう。


これはこれでつじつまが合いそうな気がしたのですが、個人的に寒天の特徴を表すのに透明というのが腑に落ちませんでした。
少々唐突な印象は否めませんし、何よりの違和感は霞柱なのに霞とは真逆の透明にこだわるのかがこれではわかりません。


たしかに天草四郎時貞は歴史の教科書に載っているほどの有名な人物ですが謎も多く、顔どころか年齢にも幅がありますし、2人いたのではないかという説すらあり、存在自体に霞がかかったような人物です。


早世したのは間違いないでしょうし、カリスマ性と謎めいた経歴は若き天才である霞柱のモデルに相応しいかもしれませんが、14歳だと年齢を定める人物モデルにしては少し弱い、あやふやな部分が多すぎる気がします。


そこで同じくキリシタンで14歳で亡くなった人物がいないか探してみました。
すると、1597年、豊臣秀吉の命令で長崎で磔刑に処された浦上26聖人の一人に14歳で殉教した聖トマス小崎という人物がいることがわかりました。


トマスという名前はキリストの弟子・十二使徒の一人で、アラム語双子を意味します。
十二使徒の聖トマスは研究熱心で情熱的であるものの少しずれたところがあったと言われています。
無一郎の2ヶ月で柱に昇りつめるほどの情熱と努力、記憶を失くしたがゆえの少しとぼけた感じは聖トマスの人格を反映したものと言えるかもしれません。


また、漢字でトマスは登明と表記するそうです。これは知らなければ通常はとうめいと読むでしょう。
この登明を透明に変換して、時透の透にしたのではないでしょうか。
そうすれば、天草とトマス小崎の両方を意味する上に、双子の意味も込められた名前になります。


またキリシタンが祈りを捧げる時に使われた物の一つに魔鏡がありますが、魔鏡は別名を透光鏡と言います。
日本神話から見ても鏡は重要な宝物の一つですし、日の光を受ける物でもあります。
日の呼吸の子孫にこの字を入れたいと考えられた可能性はあると思います。


浦上26聖人の一人、聖トマス小崎についてもう少し触れておきたいと思います。人物についてあまり詳しい話は残っていないようですが、処刑のため長崎に連行される道すがら、母と弟宛に遺書のような手紙を書いていることがわかっています。
その内容は、自身の死を前にしても母と弟の身を案じるものでした。


鬼滅の刃」でも隊員が皆、遺書を残しているとされていて、残された者の幸せを願う内容ばかりだとされていますが、この聖トマス小崎の手紙がモデルの一つになっているのではないかと私は考えています。


昔とはいえキリスト教を信仰していたという理由だけでこんな少年までもが、と思ってしまいますが、彼と一緒に処刑された日本26聖人のうち最年少は12歳だったそうです。


無限城での黒死牟戦において、無一郎が柱に磔にされてもなお抵抗を諦めない場面がありますが、磔刑にされても信仰を棄てなかった聖人たちの姿が反映されているように思います。


◆時透 無一郎とキリスト教


キャラクターの中でも特に時透無一郎にはキリスト教あるいは隠れキリシタンを彷彿とさせるデザインが随所に見られます。


たとえば、柱たちの特徴をよく表している日輪刀の鍔のデザインなどを見てみますと、無一郎の鍔は霞の呼吸の使い手のわりには形状が角ばっているのが印象的です。
時透兄弟が山の中で暮らしていた時の着物がまさに霞柄ですが、流れる煙や雲のような形をしています。
そういう観点からすれば、霞柱の刀の鍔はもう少し流線や丸みを採り入れたデザインであってもよさそうです。
ですが、ここにはモデルの一人の聖トマス小崎の名前の由来、十二使徒の聖トマスを意識したデザインが考えられたのではないかと思います。
聖トマスの象徴の一つが正方形なので、四角を使い、かつそれを組み合わせて十字架に近い形を作っているのではないでしょうか。

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(↑上から見た時透無一郎の刀の鍔 略図。正方形の組み合わせで十字架を作っている。/よひら画)

また、コミックス12巻の表紙絵ですが、無一郎の巻は背景の障子(格子?)、真ん中あたり縦一本が他の格子より太くなっているのがわかると思うのですが、それに対して無一郎が刀をほぼ水平になるように持っています。
少しアングルがずらされていますが、微妙に十字架を作っているように見えます。
たぶん狙ってやっているのではないかと思います。


さらに重要なモチーフの一つ、佐渡島も実はキリシタンに関係ある土地柄です。
佐渡島の金鉱掘りの技術は宣教師から伝えられたものだといわれますし、佐渡島にはキリシタンを処刑したといわれる場所や信者が葬られたキリシタン塚もあります。


先の項で、椿の木の灰を釉薬にした無名異焼について触れました。椿は日本固有の花であると同時に、五島列島や平戸のキリスト教では薔薇と同一視されている重要な花でもあります。


隠れキリシタンの摘発と弾圧は残酷で苛烈なものであったことが伝わりますが、その中でも明治元年長崎県五島列島で起こったキリシタン摘発(五島崩れ)は、時透兄弟を襲った悲劇と重なるような出来事だと思いますので、概要を挙げておきます。


1868年(明治元年)、五島列島久賀島で、隠れキリシタンの摘発があり、約200人の信徒が摘発され水責めなどの拷問の後、男女を分けただけの牢へ入れられました。
6坪(約20㎡)ほどの広さの牢に全員を押し込め、座ることもままならない状態が三日続き、後に交代で座ることができるようになったものの、ほとんど身動きがとれず食事もまともに与えられないまま、老人、子ども、女性と体力のない者から次々と拷問、飢え、病、衰弱で苦しみもがいて亡くなっていきました。
ここでは人間扱いされることはなく、人が死んでもその死体が牢に放置されることもあったようです。


仲間や家族が目の前で惨殺され腐敗していく様子を身動きできぬまま、自身も瀕死の状態で見ていることしかできない。


外国領事たちの批判によって拷問が中止されるまでこの状況が8ヶ月ほど続きました。
最終的に全員が解放されるまではさらに数年を要しています。


記憶をなくすほど辛く、それでも悔しさと怒りが残ったという無一郎の体験は、物語の完全な創作ではなく、鬼の仕業でもない人間の手で、実際に行われたことがモデルになっていると考えられるのです。


◆無一郎の名前の由来


次に無一郎の名前について考えてみたいと思います。
無一郎は名前の意味が作品の中で語られていて、「無限の無」を意味してつけられていることがわかっています。
これは物語のために作られた吾峠先生のアイディアによるエピソードだと思います。
失われた記憶がよみがえると共に、当初はネガティブな印象しかなかった無の字を一気にポジティブな意味へ変えてしまう物語の展開に魅了された読者の方がきっとたくさんいたのではないでしょうか。


ここでは物語での理由とは少し離れ、なぜ無という漢字が選ばれ、無一郎という名前になったのかについて考えてみたいと思います。


まず無という漢字はもともと雨乞いの舞を表す漢字でした。
下の部分「灬」は火を意味し、上の部分は飾りのついた長い袖を翻して舞う人の姿を表しているそうです。
本来は舞うという意味であった字ですが、「ない、存在しない」を象形文字で表すことが難しいことから、同音の無の字が代わりに使われ始め、やがて使い分けのために舞という字が新たに生まれ、無と舞に分かれていきました。
つまり本来は2つとも同じものを表している字ということになります。
ヒノカミ神楽の原点、日の呼吸の子孫の名前に舞の元になった字が使われているというのはいかにもぴったりだと思います。


新たに作られた舞の字は下の部分「舛」が両足が外に向かって開く形を表しています。
これを一人の両足ではなく二人の足だとする説もあるようです。その説を採るならば、舞の字は2人の人間の姿が表されていることになります。
吾峠先生は無の字の中に、舞の始まりと2人の姿を見ているのかもしれません。
 
また、無は隠れキリシタンがその信仰を隠した字でもあります。
日本では秀吉の時代から明治に至るまでキリスト教は公には信仰を禁じられていた宗教でした。
信徒はその信仰を文字通り死んでも隠さなくてはならず、礼拝する石像もそれとわかる物は作れませんし、十字架などあからさまにわかるしるしを刻むことはできません。
そこで特殊な仏像を作り、「南無阿弥陀仏」など一見すると仏教徒であるかのような文字を刻みながら、しかしよく見ると「無」の文字の三画目~七画目を他の部分と少し離して十字を強調するような形にすることでその信仰を表していました。
こうして信仰と祈りを続けてきたのです。

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(『二重十字』よひら画/十字架が8つ入っている。)

また無に隠れキリシタン存在そのものの意味を込めたとも考えられます。
キリスト教を長く禁教とした歴史を持つ日本ではキリスト教や信者に関わる記録や痕跡は徹底して隠され、抹消されていることも多くあり、今やキリシタンの歴史に対する一般的な認識とは歴史上ほとんど無に等しい存在になっているのではないでしょうか。
無に等しいかもしれませんが、確かに存在した人たち、その想いや歴史を凝縮して形になったのが時透無一郎というキャラクターなのかもしれません。


◆霧ではなく霞柱


霞の呼吸、霞柱についても考えてみたいと思います。
霞柱と聞いて、私が疑問に思ったのはなぜ霧や雲ではないのだろうという疑問でした。


先にも述べた通り、時任姓は宮崎県に多い名前ですが、宮崎県には霞神社という霞柱にぴったりそのままな神社があります。


ですが同時に、鹿児島県との境に霧島連山があり、日本の神話に深く関わる場所であり、霞と似た霧の名前がついています。
霧島東(きりしまひがし)神社と東霧島(つまきりしま)神社という双子みたいに名前がよく似た神社もあります。
日本の神話をベースにするならどちらかといえば霞より霧の方が合う気がします。


そこでなぜ霞が選ばれたのかについて考えてみました。
まず一つ挙げられるのは、霞は「霞んでいる状態」の全てを指すので、霧の意味をも含むかなり幅がある言葉だからというのが挙げられます。
雲でも霧でも煙でも、視界をもやっと覆えば霞なのです。


第二に、霞は日の出、日没に雲が美しく彩られる様を意味するからという理由が考えられます。
先祖である始まりの剣士が太陽のイメージがあるので、子孫にもそのつながりがある言葉を使いたかった可能性はあります。


第三に、福島県二本松市にあった二本松藩のイメージを人物のモチーフに組み入れたかった。
これが一番大きな理由ではないかと私は考えています。
二本松藩はかつてキリシタン大名が治める土地であり、東北のキリシタンの根拠地でもありました。
なぜ数あるキリシタン大名が治めた土地の中から二本松藩を選んだのかというと、二本松の名前の由来通り2本の霊松があり、双子のイメージとも合いますし、長崎県カトリック教会であり世界遺産にもなっている大浦天主堂へのルートに二本松口という似た名前の地名があり、これと紐付けてのことだと思います。
二本松城はまたの名を霞ヶ城と呼ばれ、現在は県立公園 霞ヶ城公園になっています。


霞ヶ城公園が無一郎と関連付けられていることは彼の特技からも読み取れます。
無一郎の特技は紙切り・折り紙となっていますが、二本松市紙切り、切り絵を得意としていた有名な人がいます。
智恵子抄」で有名な詩人 高村光太郎の妻・智恵子です。
設定に組み込まれたのは有名人だったからではなく、霞ヶ城公園内に智恵子の生家から移された藤があり、智恵子の藤棚と呼ばれていることに由来すると思われます。


出身地についても霞ヶ城公園内からモチーフと思われるものが見られます。
日影の井戸、月影の井戸、星影の井戸と呼ばれる日本の三井のうちの一つ「日影の井戸」です。
無一郎の出身地 景信山はこれと関連付けられているのではないかと思います。
ただ、他の設定と比べる少々つながりが弱い感じがします。
吾峠先生は以前、公式見聞録でうっかり無一郎の出身地を間違えるというミスをしましたが、関連付けが弱かったせいではないかと思いました。想像の域は出ません。


東北のキリシタンの根拠地となった二本松藩でしたが、その後は他の土地と同じくキリシタンの弾圧がありましたし、また戊辰戦争時は12歳から17歳の少年たちが出陣して戦死したことが伝わっています。


霞柱の、霞には「早世」、もっといえば「子どもと呼ばれるくらいの若い年齢であっても、信念を貫いて戦い、それに殉じる」という生き様、メッセージが強く込められた名前だと考えられるのです。


◆好物のふろふき大根について


大根の中でも彼の好物として考えられたのは時無大根(ときなしだいこん)だと思います。
時無というと、無限みたいで無一郎の好物としていかにもイメージがぴったりではないでしょうか。
味はピリッと辛いらしいです。何だか性格まで表しているようです。
栽培期間が短い極早生の大根で、「花不知早太り時無し大根(はなしらず さきぶとり ときなしだいこん)」と呼ばれ、「時無大根」の名前になりました。
これは花が咲く前に早く収穫できる大根という良い意味らしいのですが、「花知らず」はネガティブに解釈すれば「花盛りの時を知らない」とも読めます。
ここにも短命のイメージが込められているのではないでしょうか。


◆有一郎について


双子の兄 有一郎についても触れておきたいと思います。
有一郎は何度か登場するものの、作品の時間軸では既に亡くなった人物です。


ですが、弟が無だから有というような無一郎の設定の一部ではない、有一郎もまた一人のキャラクターとして作り込まれていることを読み取ってみたいと思います。


まず名前ですが、無一郎に佐渡島のイメージがふんだんに使われているので、有一郎にはきっと隠岐島のモチーフがどこかに採り入れられているはず、という予想を元に調べてみました。


島根県にある隠岐諸島は4つの島を主として約180の島々で構成される群島です。
山陰地方では今でも隠岐の國と呼ばれることもあるそうです。
その歴史は古く、古事記では三つ子の島と書かれています。(主な島は4つなのになぜ三つ子なのかは諸説あるようです。)
佐渡島と同じく、古くは聖武天皇の時代から後鳥羽上皇後醍醐天皇小野篁など高貴な人々の流刑地とされてきました。
最先端の教養を持つ人々が流れ着く土地柄、独自の文化が生まれたようです。


神社も多くありますが、その中に有木神社(あらきじんじゃ)という神社があることがわかりました。
この神社は大正時代に有木地区内の小社8社を合祀していますが、その中に隠岐の國総社がありました。
つまり有一郎の有は隠岐の國の神様が集められた神社から一字取られていると考えられます。


また佐渡島と違い、隠岐にはキリシタンにまつわる話は見つかりませんでした。
しかし双子というからにはある程度は同じ要素を持ち合わせているのではというのと、死ぬ前に自身の過ちを告白し弟が助かることを願った彼もまたキリシタン的な部分を持っているのではとの考えから、天草四郎が活躍した長崎県の島原地方に目を向けてみますと、有家町(ありえちょう)という名前の町がありました。


かつて有家村が存在し、島原の乱に参加した村民が全滅し無人と化した歴史もある場所で、長崎県キリシタン墓碑群の多くがこの地域に集まっています。
島原のキリシタンの歴史から見ると、有の字は激しい戦いによる多くの犠牲者、殉教者のイメージが結びついているとも考えられます。


一方で、同じ有家と書き、うげと読む地名が岩手県にもあります。こちらは藤原有家(ふじわらのありいえ)が流されたことに由来する地名だそうです。
藤原有家が流された理由は「鬼に陥れられた」からだそうで、時透兄弟が鬼の襲撃にあったという話はひょっとしたら二つの有家の土地が持つ歴史が混ぜて作られたものかもしれません。


有一郎は無一郎がいたから反対で有と安直に決まった名前ではないし有の字にもたくさんの意味が込められているのだと考えられるのです。


次に有一郎の性格を見てみます。
無一郎の記憶の中で描かれる有一郎は、物の見方がネガティブであまね様たちの訪問に対しても追い返してしまうやりとりがありました。

これはイエス使徒であった聖トマスの性格の一部分を反映したものではないかと思われます。
聖トマスは研究熱心などと言われる一方、疑い深いところもあったと言われていて、簡単に人を信用しない有一郎の性格はその部分を反映したものなのでしょう。


最後に、死後に二人が会話を交わす場面で描かれる銀杏(イチョウ)について考えてみたいと思います。
あの世とこの世の間のような、あるいは夢の中のような世界で2人が会話を交わす場面はたくさんの銀杏の葉が舞うのが印象的です。
物語の中で二人には銀杏に対する特別な思い出があったとは語られていませんので、銀杏は二人を象徴するものだと考えられます。


この銀杏は有一郎のモチーフがとられた隠岐島から発想を得ているのではないかと思います。
隠岐島にはお葉付き銀杏という銀杏の変種があります。
一般的な銀杏がさくらんぼのように2つに分かれて実を結ぶところを、お葉付き銀杏は一方には実、もう一方には葉が現れるそうです。
一つは種となって実を結び、もう一つは葉となり枯れていく。
生きて後に繋いでいけるのは片方だけ、という2人の運命を銀杏が表現しているのでしょう。
 


◆まとめとむすび


今回、調べていて気がついたのですが、「鬼滅の刃」は日本書紀や和風の装いを前面に押し出していながら、実は物語全体にキリスト教のモチーフが絡んでいます。
鬼殺隊サイドのキャラクターはほとんど全員、何かしらの聖書、キリスト教からとられたモチーフが隠されています。
思い付くだけで、煉獄さん、継國兄弟、炭治郎、善逸、伊之助、義勇さん、宇髄さん、伊黒さん、甘露寺さんにはキリスト教のモチーフが入っています。
(なんてことだ、関係ないと思ってカットしたのに追記が必要だなんて…!)
これは吾峠先生がカトリックキリスト教を信仰なさっているからだと考えられます。(根拠はありますが、作品と離れすぎてしまうのでこれ以上は控えます。)


さらに長い禁教によりわからなくなっているだけで、日本の文化の中にはキリスト教の影響が受けているものが実はたくさんあるからとも言えますし、特に九州はその影響が色濃く見られる地域があるのでしょう。


時透無一郎に対する私の個人的な思いですが、何だかんだと言いながら、生きていて欲しかった…!です。
天才と言われた彼の全盛期の剣技を是非見てみたかった。
無一郎の言う通り、人生は長さじゃないけど、無限の可能性を秘めた若者が成長してどんな姿を見せてくれるのか、それを見てみたいと思うのもまた人の性ですよね。


皆の未来を守るために、自分の未来を引き換えにして戦い抜いた最年少の剣士が、鬼のいない来世で今度こそ兄と天寿を全うしてくれることを願っています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

◆参考文献、サイト
・原作『鬼滅の刃吾峠呼世晴 著  集英社出版 掲載紙 週刊少年ジャンプ
・『公式ファンブック 鬼殺隊見聞録』吾峠呼世晴  著 集英社出版 掲載紙 週刊少年ジャンプ
・『現代語訳 日本書紀 【抄訳】』菅野雅雄著 新人物文庫
・『江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた』古川愛哲 著 講談社出版
・『彷徨える日本史 誣説が先行する南海の美少年天草四郎時貞の実像』源田京一 著 幻冬舎
・『くらしを彩る 日本の伝統色事典』石田結実 著 マイナビ文庫
wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/
天草四郎時貞
「聖トマス」
佐渡島
隠岐島
島原の乱
「魔鏡」
「五島崩れ」
二本松藩
有家町
藤原有家
・名字由来ネット
「時任」
https://myoji-yurai.net/sp/searchResult.htm?myojiKanji=%E6%99%82%E4%BB%BB
佐渡日報
「刀工・新保さん「ぜひ体感」 展示室を開設 佐渡市
https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/sp/news/article.php?id=NEWS0000023380
・さど観光ナビ
佐渡歴史伝説館」
https://www.visitsado.com/spot/detail0003/
じゃらん観光ガイド
佐渡金山遺跡」
https://www.jalan.net/kankou/spt_15601af2170019234/kuchikomi/0000574711/
・無明異焼 玉堂窯元 公式サイト
https://www.gyokudou.com/
・Onsen News
「【新潟】実は温泉の島だった!17ヶ所もの源泉、約25ヶ所の温泉施設がある佐渡島
https://onsennews.com/news181016_sadogashima_onsen/
和樂web
「日本の能舞台の3分の1が集まる地、佐渡薪能天皇世阿弥のもたらした芸能文化を見る」
https://intojapanwaraku.com/travel/1482/
・刀剣ワールド
佐渡に伝わる貴重な古武道 白刃」
https://www.touken-world.jp/tips/32772/
・戸地ライフ
「白刃保存会」
http://toji.life.coocan.jp/shiraha.html
・47NEWS
「(182)「無」 袖をひるがえして舞う人」
https://www.47news.jp/19545.html
・OK辞典
「無」
https://okjiten.jp/sp/kanji730.html
日本二十六聖人
http://www1.odn.ne.jp/tomas/nihonseijin.htm
・小崎登明93歳日記
http://tomaozaki.blogspot.com/2017/02/blog-post_5.html?m=1
・『福島歴史物語』桐屋号 blog
「魔鏡」
https://plaza.rakuten.co.jp/qiriya/diary/201404010000/?scid=wi_blg_amp_diary_next
・地球はとっても丸い
「第13回 椿」
https://chikyumaru.net/?p=8669
・つばきのしまだより
https://www.city.goto.nagasaki.jp/tsubaki/010/050/20190122223311.html
・一般社団法人都城観光協会
「島津寒天工場跡」
https://miyakonojo.tv/summary/shimazukantenkoujyouato
・高原観光協会
「霞神社」
「霧島東神社」
http://www.takaharu-tourism.jp/
・東霧島神社
http://tsumakirishimajinjya.com/
・Oxford languages
「霞」
https://languages.oup.com/
二本松市観光連盟
「県立霞ヶ城公園
https://www.nihonmatsu-kanko.jp/?p=672
・にほんまつ観光処
「智恵子の生んだ作品」
https://www.city.nihonmatsu.lg.jp/sp/page/page001369.html
・玄松子の記憶
「有木神社」
https://genbu.net/data/oki/araki_title.htm
隠岐経済新聞
隠岐・中ノ島「お葉つきイチョウ」色付く 島々の山々も紅葉」
https://oki.keizai.biz/headline/383/
・日本の巨樹・巨木
「オハツキイチョウ
http://www.kyoboku.com/ohatsuki/
ながさき旅ネット
「有家キリシタン史跡公園(桜馬場キリシタン墓碑群)」
https://www.nagasaki-tabinet.com/junrei/572
・デーリー東北
「北奥羽の地名【有家】=洋野町/どんな由来?」
https://www.daily-tohoku.news/archives/45229

 

 

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