梅下のとはずがたり

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【ネタバレ含む】鬼滅の刃における藤の花の考察

鬼滅の刃公式ファンブック 鬼殺隊見聞録 (ジャンプコミックスDIGITAL)

今回は「鬼滅の刃」のキャラクターではなく、藤の花の元ネタについて考察してみたいと思います。

藤の花は人物ではないので個人名やセリフこそありませんが、鬼を退治する上で重要な役割を持っています。毒として鬼にダメージを与えるのみならず人を守り、時には救うような場面もあります。

他のサイトや動画、書籍でもすでにいくつもの考察がなされていますが、それだけ魅力的な存在です。

 

できるだけ作品のネタバレは避けますが、アニメ化していない部分のネタバレを多少含みますので事前情報なしに漫画やアニメを楽しみたい方にはおすすめしません。

 

◆なぜ鬼は藤の花を嫌うのか。

鬼滅の刃」で藤の花といえば、無敵に近い鬼たちの数少ない弱点の一つです。

鬼が藤の花が弱点というのは、作品独自の設定だと言われています。

 

鬼滅の刃」で鬼にとっての藤の花とは

・とにかく匂いが嫌い。
・近づけない。忌避する。
・エキスのようなものも苦手。
 →体内に入るとしびれたり場合によっては死ぬ。ただし多用すると体内で分解してしまう可能性あり。

 

鬼たちはなぜ藤の花を嫌うのでしょうか?

ネットや本で調べたところ、大体このような考察がありました。


①日本固有種があり、歴史的に馴染みがある花だから。
→和風の話なので日本の植物を採用した。
マメ科である。
→豆は鬼の弱点といわれるためマメ科の藤を採用。
③好日性の植物である。
→鬼は日光が弱点。
④微小とはいえ毒がある。
⑤神社や祭で神事に使われており、日本書紀などで邪を払ったエピソードがある。


どれもうなずく部分はありますが、反面どれも藤にしかないものではないのが気になります。
①~⑤の理由ならば藤以外にも当てはまるものがあり、それらが選ばれず藤が選ばれる理由、藤と他の植物とは何が違うのか理由があるはずですが、その答えは今のところ得られていません。
私は「鬼の弱点は藤の花でなければならない理由」があるのではないか?と思うのです。たとえば鬼退治の伝説に絡んでいるとか、神話に絡む聖なる植物であるとか、鬼の弱点になるにふさわしい文化や物語が設定理由にあるのではないかと。


そう思って調べてみたものの、藤の花が登場する人生に希望を与えてくれそうな良い話はいくつかありましたが、鬼退治に結びつきそうな話は見あたりませんでした。
何より日本で鬼退治の植物といえば定番は桃か豆ではないでしょうか。
一般的なそれらではなく藤が選ばれた理由は何かを私なりに考えてみました。


◆鬼の原点は?

 藤は鬼の弱点ですので、一般的な知識ではなく鬼滅の刃」において鬼とは何かを考える必要があると思います。
もちろん鬼は大量の資料から得た情報を綿密に組み合わせて作られているオリジナルだろうと想像しますが、吸血鬼の影響が大きいと考えています。


これは「鬼滅の刃」の前身になる作品「過狩り狩り」が収められたコミックスから見出だすことができます。
単行本のあとがきに吾峠先生は、この作品が「鬼滅の刃」のベースになっており、着物を着た吸血鬼、和風のドラキュラを描いてみたかったと書かれています。


鬼滅の刃」に登場する鬼とはもともと吸血鬼であり、そこに様々な設定が付加されていったのだろうと考えられます。


◆そもそも吸血鬼とは

では吸血鬼とはどんな存在でしょうか。

東ヨーロッパを中心に昔から恐れられている魔物。夜、墓の中から、凶悪犯人、自殺者、破門者、早く埋葬されすぎた者などの死体がよみがえって現れ、長く伸びた犬歯によって熟睡している人の生き血を吸い、吸われた人はこの夜の訪問のとりことなり、死ねば吸血鬼に変じるというのが一般的な伝説である。              (コトバンクより)


吸血鬼は東ヨーロッパの伝承が西に伝わって創作されてきた存在です。
特に創作で有名なのはブラム・ストーカー著「吸血鬼 ドラキュラ(原題 Dracula)」でしょう。
原作が映画や舞台になっていますし、漫画などでもキャラクターとして使われてきました。ドラキュラは個人の名前ですがドラキュラ=吸血鬼といっても差し支えないほど認知されています。
ここでは挙げませんが「鬼滅の刃」がこの小説に影響を受けていることは、共通点が多数見出だせることからもわかります。

(善逸と禰豆子のカップリングが好き、無限列車編が好きな方は楽しめるのでは、と思います。)


◆吸血鬼の弱点

それでは吸血鬼の弱点は何なのか、小説「吸血鬼 ドラキュラ」やWikipediaなどを参考に一通り挙げてみます。

 

小説「吸血鬼ドラキュラ」における

吸血鬼の弱点

十字架(死なないけど苦手らしい。)
ニンニク(死なないけど匂いが嫌いらしい。)
聖水(死なないけどやけどしたりする。)
聖餅(せいべい。礼拝で用いるパン。対吸血鬼には聖水と同じような効果がある。)
日光(たまに克服する者もいる。古今東西、邪鬼は朝日を嫌うもの。)
木の杭で心臓を刺される(吸血鬼でなくても死ぬと思う。)
首を切られる(吸血鬼でなくても以下略。年季の入った吸血鬼は即、灰になる。)
(焚火や松明の炎など。近寄れない。)


Wikipediaなどによれば小説「吸血鬼 ドラキュラ」には登場しませんが、
・銀のナイフ、弾丸
これらも一般的に知られる吸血鬼の弱点に挙げられていました。19世紀後半以降にできた追加設定らしいです。


さらに塩や流水、鐘などにも弱いことがあるらしいという情報もありました。
どれがというより、聖性を帯びたもの全般を受けつけないということなのでしょう。
不老不死というと無敵な感じがしますが、意外と弱点が多い印象です。
死んでも復活できるとすれば弱点があっても問題ないのかもしれません。
実際、先に挙げたものの中で確実に吸血鬼を消滅させられる弱点は首を切る一択です。


それでは、これら「吸血鬼の弱点」を「鬼滅の刃での鬼の弱点」と照らしてみると、下記のようになると思います。

 

□十字架 →  ?
□ニンニク → ?
■聖水 → 水の呼吸、藤の花で作った薬
■炎 → 炎の呼吸、ねずこの燃える血
■日光 → 日光、日の呼吸(ヒノカミ神楽)
□木の杭で心臓を刺される → ?
■首を切られる → 日輪刀で首を切られる
■銀のナイフ、弾丸 → 日輪刀または銃


そのまま比較しても半分くらいは置き換えられそうです。
項目の中で合致していないのは下の3点。

 

□十字架

□ニンニク

□木の杭で心臓を刺される

 

ドラキュラといえばこれ、というような弱点ばかりが残りました。
これらの中で木の杭で心臓を刺すのは有名な退治法ですが小説「吸血鬼 ドラキュラ」によれば、木の杭を刺す目的は心臓を貫いて押さえつけておくことであって、道具は絶対に木の杭でなくても良さそうです。
小説では明確には語られていませんが、木の杭で刺す行為は死に近い重大なダメージを与えられるものの復活する可能性があり、とどめはどうしても首を切り離さなくてはいけないようです。
つまり「鬼滅の刃」ではこのように置き換えられると思います。

 

■木の杭で心臓を刺す→何かで体を刺して動けないようにし、日輪刀で首を切る、または日光を浴びせる。


残るは十字架ニンニクですが、これらは吸血鬼の弱点としてはかなり有名かつ特徴的です。
吸血鬼の弱点と「鬼滅の刃」における鬼の弱点が合致すると言うなら、この2つに相当するものが登場していなければなりません。
そして私はそれらが藤の花に隠されているのではないかと考えました。

つまり鬼の弱点に藤の花が選ばれた理由は、藤の花そのものの特色のみにあるのではなく藤の花が別のものに見立てられているから、または独自設定された何かが含まれているからではないでしょうか。

 

◆藤の花とニンニクの共通点

まずニンニクが藤の花に見立てられるとしたら共通点があるはずです。

その共通点を考えてみたいと思います。


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(※よひら画。藤の花が絶望的に下手くそという批判は受け付けます。)

ビジュアル的に共通点はおろか似ているところすら見受けられないと思いますが、「吸血鬼ドラキュラ」というキーワードを通して見ると共通点が2つあります。


まず一つは「外見・見た目」です。
吸血鬼を愛しよくご存知の方々には常識の事柄かもしれませんが、小説「吸血鬼ドラキュラ」内に登場するニンニクは球根(鱗茎)ではなく、花です


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(普段、食べられる部分は鱗茎(りんけい)。)
小説「吸血鬼ドラキュラ」ではニンニクの花の色は白いと描写されています。
紫色が代表的な藤の花とは並べてみても全く違うと思われますが、セイヨウニンニクと呼ばれる品種は紫色の花を咲かせます。


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そしてニンニクはヒガンバナ科だということも付け加えておきたいと思います。
これは青い彼岸花の発想にも繋がっているかもしれません。
花の咲き方は球状と房状で全然形が違いますが、小さな花が集まっていることは共通しています。


二つ目に、どちらの作品内でも明確に共通しているが描かれているのが「花の匂い」です。


作品の中では、藤の花の香りについて言及があります。
炭治郎や鬼の嗅覚が特に鋭いという部分もあるでしょうが、作品内の藤の花は特に匂いを強調して描かれています。


一方、ブラム・ストーカー作「吸血鬼ドラキュラ伯爵」ではニンニクの花が吸血鬼の弱点として登場します。
ヘルシング教授の指示で吸血鬼の忌避剤としてニンニクの花を部屋に敷き詰めるのですが、こちらも弱点となる理由は「匂い」です。

以上二点、藤の花とは全く似ても似つかないと思ってしまいそうなニンニクですが、花を見ると共通点があることがわかります。

 

ちなみに「邪悪なものが匂いを嫌う」「匂いを放つものが魔除けになる」という考えは、小説オリジナルの発想ではなく古代エジプトから見られるもので、東欧や日本だけでなく世界中で見られるものです。


◆藤花の中に十字架を見る

それでは吸血鬼の典型的な弱点、十字架はどうでしょうか。
私はこれも藤の花の中に見出だせるのではないかと思います。
キリスト教のシンボルである十字架と日本の固有の花とも言われる藤の花がどのように結びつくのか。
こちらは2つの可能性を考えました。


着想の可能性① 藤姓から
藤原氏から派生した藤のつく名字は全国で見ても多種多様にありますが、その中に「藤」さんという名字があります。
読み方は「ふじ」さん、「かずら」さんなどいくつかありますが、福岡県では「とう」さんと読む場合が多いそうです。


「とう」は発音すると「とお」にも通じていて「十」を連想することができます。
この字形から導き出される図像といえば十字架です。


こういう連想をすること自体が珍しいのではないか、その可能性についてですが、潜伏キリシタンが信仰を隠す方法の一つにキリスト教を意識してつけた「十(じゅう)」という漢字を使う名前を読みが同じ「重(じゅう)」に変えるなどして隠していたと推測される例があります。
「十(とお)」を同音の「藤(とう)」に変えたパターンがあっても不思議ではありません。
また、普段からこのような事例に関心を持っている人ならば、目にする名前の中にキリスト教のモチーフを見出だしたり、思いついたりすることもあるでしょう。
「藤」を「ふじ」ではなく「とう」と読むことに慣れていて、さらにキリスト教潜伏キリシタン隠れキリシタンの知識があれば、そこに「十」、もっと言えば十字架を見出だすことはごく自然な流れだと思います。
ですが、この着想なら「桃」も「とう」と読めますし、木へんの部分に十字を見出だせるので桃でも問題なかったのではと思ったのですが、「藤」の字は数えようによっては十字架は3つになりキリストの受難を想起させますし、ニンニクの花の特徴を組み合わせると藤の花が最適だったのではと考えられます。


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(『磔刑図』アンドレア・マンテーニャ画、1459年。Wikipediaより。イエスが死んだ時、他にも二人の罪人がいたと言われているため十字架は三本描かれる。)


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(藤の旧字体。グリフウィキより。草かんむりで十字架が二つ、読みで十字架を一つと数えれば三つの十字架が現れる。)


またこれは日本の神様にも言えることですが、藤は「ふじ」と読めば「不死」の音に重なることもあり、永遠なる神を象徴する花として名前もふさわしいように思います。


着想の可能性② 家紋から
もう一つは家紋からです。
藤と家紋というと作品内での藤の花の家紋の家を思い浮かべる方も多いと思います。

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(ジャンプコミックス鬼滅の刃」4巻 吾峠呼世晴 著より)
かつて鬼の脅威から守ってもらった恩義として惜しみない協力をしてくれる藤の花の家紋の家には、それを意味する藤花紋が大きく描かれています。


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(前出の絵より拡大)
これと似た家紋は実際にあって、下り藤(さがりふじ)という家紋です。

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(「内藤藤」家紋のいろは より)

この家紋は内藤新宿(今の東京都 新宿一丁目から三丁目あたり。新宿は善逸の出身地とされています。)、そこに下屋敷があった内藤家の家紋で、藤の花の家にある家紋はこれを元にデザインされているのではないかと思います。

もともと内藤家は左十字を家紋にしていたそうですが、キリスト教の取り締まりや弾圧が厳しくなりキリシタン寺が禁止とされた同時期に、下り藤に改められたと言われています。

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(家紋「丸に左十字」 Wikipediaより)

キリシタンの取り締まりが厳しさを増す江戸時代、内藤新宿は江戸の中にあって信徒の集まることができる場所だったといわれ、内藤家もキリスト教を信仰していたと考えられています。

その流れを踏まえて家紋を見ますと、先述の通り、藤(とう)は十(とお)の音と通じますし、下り藤の木にあたる部分は十字架と似ています。

藤花紋それ自体はキリスト教とは無関係ですが、キリシタンが信仰を隠すにあたって藤の図像にそれを託したことはあったかもしれません。
そしてこの話を知っていれば、藤の中に十字架を見出だすことは十分あり得ると思います。


無関係に見えるニンニク・十字架が潜伏キリシタンという存在を通すことで藤の花に姿を変え、和の雰囲気を前面に出しながら実はキリスト教の神聖性も込められている、もしそうなら吸血鬼にルーツを持つ鬼たちがそれとわからなくても神様を象徴する藤の花を恐れ忌み嫌うのは当然の反応といえます。


◆聖書と吸血鬼

最後に、「鬼滅の刃」がなぜ敵として吸血鬼を選んだのか、その理由について考えてみたいと思います。

鬼滅の刃」はキリスト教のモチーフ、隠れキリシタン潜伏キリシタンの歴史の上に日本の文化をいくつも重ねているような物語で、その根底に流れているのは九州に伝わるカトリックキリスト教です。

キリスト教といえば豊富な題材は西洋に求めることになりますが、西洋と一口にいっても世界は広く多様な文化と歴史があります。
ヨーロッパだけをとってみてもいろいろな鬼が存在しますが、キリスト教という視点から見た時に悪魔ではなく鬼を挙げるなら、筆頭は吸血鬼です。


なぜなら吸血鬼はキリスト教の価値観から最も遠い、対極にある存在として作られているからです。
人と同じ姿形をし、あるいは元は人でありながら神に近い不死を手に入れた存在。にもかかわらずキリスト教とは全く相容れない真逆の価値観を持った者。
ヨーロッパで聖書の考えがまだ今より支配的であった頃、当時の人々を恐怖のどん底に突き落とすため、東欧の伝説に聖書と逆の価値観を付加して創作された存在が吸血鬼なのです。


では吸血鬼がいかに聖書と正反対の存在であるか、それがわかる部分を旧約聖書新約聖書からそれぞれ見てみたいと思います。

まず旧約聖書から。

 

すべての生き物の命はその血であり、それは生きた体の内にあるからである。わたしはイスラエルの人々に言う。いかなる生き物の血も、決して食べてはならない。すべての生き物の命は、その血だからである。それを食べる者は断たれる。
(旧約聖書 レビ記 第17章 14節)

 

旧約聖書には「血を飲むな」と明確に書かれています。血を飲む行為、それをする者は聖書の教えと対極にある存在なのでしょう。


次に新約聖書を見てみます。
少し長くなりますが、ここには神と吸血鬼の不死に対する違いも読み取れるので引用します。
やりとりはまず、旧約聖書の「血を飲むな」の教えを否定するような言葉から始まります。

 

エスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
(ヨハネ福音書 第6章 53節)

 

ここだけ読むと、旧約聖書とは反対で吸血鬼を肯定するような言葉に思えます。
人の子の肉を食べ、血を飲めば命を保たせることが出来る、とも読めそうです。

さらに、こう続きます。

 

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
(ヨハネ福音書 第6章 54節)

 

旧約聖書の禁忌を無視した上に自らを差し出すような言葉です。
これは聞いていた弟子たちもさすがに驚き、とても受け付けられない様子を見せます。
しかし、イエスはさらにこう言いました。

 

命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
(ヨハネ福音書 第6章 63節)


私はこの話から、永遠に対して二つの考えが得られるように思うのです。
 
◎人の血肉を喰らうものは永遠の命を得る。
=肉体的に不死となる。
 
◎しかし肉体的な永遠には価値がない。
真に人の血肉を喰らい永遠の命を得るとは、霊・命が含まれた「言葉」を自らの内に取り込み、受け継いでいくことを意味している。
 
この永遠に対する考え方の対立は「鬼滅の刃」での鬼舞辻無惨とお館様が最後に交わした会話、「人の想いこそ永遠なのだ」とも通じるものがあります。
これはこの場面だけでなく作品全体に一貫している価値観でもあり、他にも炭治郎と始まりの剣士、煉獄さんとの関係などで見ることができます。


ヒノカミ神楽(日の呼吸)を使う炭治郎と始まりの剣士は会ったことがありませんし、血縁者でもありませんでした。
二人を結ぶ「血の記憶」とは血から能力をもらったのではなく、血が記憶した情報(技の動き)を炭治郎が受け取ったに過ぎません。
ヒノカミ神楽の発現は炭治郎の鬼を倒したい強い気持ちと、それに見合う努力ができる性格、日の呼吸が体質に合っていたことなど、奇跡に近い条件の重なりですが、それでも全て偶然であり剣士との血の繋がりによる力ではありません。
一方、双子の弟 巌勝や子孫の無一郎は天才的な剣の才を持っていましたが、日の呼吸やヒノカミ神楽を使えませんでした。炭治郎を凌ぐ才能と努力を持ち、始まりの剣士の血縁であるにも関わらず同じ呼吸を継承することはできないのです。
これは技や志、人の想いなどを受け継ぐ時、血縁あるいは肉体的・遺伝的な繋がりが絶対に必要なわけではないことを示しています。

 
もう一つの例として、炭治郎は煉獄さんとも血縁ではありませんでしたが、煉獄さんの言葉は何度も炭治郎の中で繰り返され、どうしても負けられない踏ん張らなければならないという時が来る度、力を与えられる場面が描かれています。
これは、人の魂は言葉であり受け取った誰かの中に生き続ける、それを発した人が肉体的な死を迎えてもその魂は誰かの中で永遠に生きていることを具体的に描いているのだと思います。


これらと真逆に描かれているのが鬼舞辻無惨と鬼たちで、彼らは明確に血で繋がっており時に呪縛とも取れる場面が多々見られます。鬼になった理由は、病から逃れるため・愛・快楽や強さの追求・子の成長を見届けたい・怒りなど様々ですが、鬼たちは自身の欲望を満たすため今の肉体を維持して生きることに強く執着する点が共通しています。
そうしてキリスト教の神の言葉とは真逆の存在と化してしまった鬼たちは、その死に際して救いはあっても決して天国へは行けないのです。

 

◆まとめ

以上、鬼が藤の花を恐れる理由について潜伏キリシタンキリスト教や吸血鬼の視点から考察してみました。
藤の花の美しさは日本では古来より知られているものですが、「鬼滅の刃」によってまたら新たな魅力を持って愛されるようになっていると思います。

作品内で藤の花は鬼が恐れる弱点としてだけでなく弱った人を守り助けてくれるような存在として描かれています。

植物である藤の花は自分からは動きません。

鬼が人がその存在を恐れたり利用したり、希望を見出だしたりするのを、ただ傍らで見守るように静かに咲いているだけです。

物語の背景については何も言及されていませんので本当のところはわかりませんが、暗闇に咲く藤の花の中に美しさだけでなく神様の存在や救いの光のようなものを感じられたら、また違った味わいで物語を楽しめるかもしれません。

◆参考文献、サイト
 ・原作「鬼滅の刃吾峠呼世晴 著  集英社出版 掲載紙 週刊少年ジャンプ

・「吾峠呼世春短編集」第1巻 吾峠呼世晴 著  集英社出版
・「公式ファンブック 鬼殺隊見聞録」吾峠呼世晴  著 集英社出版 掲載紙 週刊少年ジャンプ
・「吸血鬼 ドラキュラ」ブラム・ストーカー著 田内志文 訳 角川文庫出版
・「聖書(新共同訳)」
https://www.bible.com
・「吸血鬼の物語」
https://www.ccn.yamanashi.ac.jp/~morita/Culture/fantastique/vampire.html
wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/
「ニンニク」
「守矢氏」

ゴルゴタの丘
コトバンク https://kotobank.jp/
「吸血鬼」
・フリーグリフデータベース グリフウィキ
https://glyphwiki.org/wiki/GlyphWiki:
「藤(旧字体)」
・ブログ「バス停地名学」
https://plaza.rakuten.co.jp/zoshigayasanjin/diary/
「第312回 新宿追分 その4」
・「藤と日本人」有岡利幸八坂書房 発行
・「藤の実」寺田寅彦青空文庫
・家紋のいろは  https://irohakamon.com
「内藤藤」
・Photo AC  https://www.photo-ac.com/
・牧師の書斎  https://meigata-bokushin.secret.jp
申命記【補完7】血を食べてはならない」


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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